- 2019.10.31
- 書評
連城三紀彦ほど読者を唸らせ、驚きと衝撃をもたらした作家はいないだろう。
文:関口苑生 (文芸評論家)
『わずか一しずくの血』(連城三紀彦 著)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
時に本格ミステリは、謎解きやトリックの解明にいたるまでの「説明」に意を注ぎすぎるあまり、肝心の人間描写がおろそかになっているのではないかという批判があった。それはそうだろうと思う。人が人を殺すという話を書いて、当然のことながら殺す側にも殺される側にも何かしらの事情があったはずなのに、それらを無視して(かどうかはわからないが)、紙上殺人ゲームを愉しむごとく、難解で複雑な謎と仕掛けを論理的に解決しようと精根を傾ける姿勢が目立ったのだ。まあ、これはこれでひとつの見識かもしれない。だが、その事件と謎を仕掛ける人間は、論理だけでは割り切れない複雑微妙な心情を持つ存在だということを忘れてはいけない。
とはいえ、多くの方が指摘していることだが、謎の演出と解明に重点を置くと、どうしても人間の情感描写が薄れがちになってしまうのだという。そういえば、かつて森村誠一も「人間が描かれていないという点については、これは推理小説が先天的にかかえている宿命であって……」(『ロマンの寄木細工(モザイク)』所収のエッセイ「私の推理小説」)と、両立させることの難しさを述べていたものだった(もっとも、この意見はのちに撤回しているが)。言わば、叙事と叙情の理想的融合問題である。
そうした中で連城三紀彦はただひとり、デビュー直後からいかにもあっさりとこの問題をクリアしているようにも見受けられるのだった。その理由のひとつとして挙げられていたのが、抜きん出た文章力の確かさである。冒頭に掲げられる圧倒的に魅惑的で不可解な謎、困惑と混迷の極に陥り、些細なことで揺れ動く登場人物たちの心理、すべての謎がある一点へと収斂していく畳みかけるような論理的結末――それぞれにベクトルが違う方向に向かう物語を、違和感なく読ませていくのだ。