- 2019.10.31
- 書評
連城三紀彦ほど読者を唸らせ、驚きと衝撃をもたらした作家はいないだろう。
文:関口苑生 (文芸評論家)
『わずか一しずくの血』(連城三紀彦 著)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
ひとつは常識では考えられない不可思議現象(犯罪)の提示で読者を惹きつけ、これはまともな決着がつくんだろうかと不安感を煽る、物語を思い切り拡散させていく方向に。ひとつは―本書でも顕著だが、人間の心理を精細に描きながら、そのことがまた絶妙な仕掛けになっているという内面を掘り下げる方向に(だからこそ、精緻に慎重に描かなければならないわけだ)。そして、事件の真相が暴かれる場面では、奇想奇抜なシチュエーションを合理的に説明するために、それまでちりばめていた仕掛け、語り、騙りを、大胆な力技と華麗なテクニックを駆使して回収していく方向に。
言うは易しだが、これらはいずれも相当な構成力と文章力を必要とする。人工的に作り上げる美しい謎(プロット)と、人工的とは感じさせない自然な人間の意識、感情(キャラクター)が見事に融合しているのである。おそらくそれは、彼の「小説」に対する思いと姿勢に根ざしたものなのだろう。
彼がデビュー当時に書いたエッセイ「ボクの探偵小説観」に、こんな一節がある。「僕の中ではフォークナーの『八月の光』と横溝正史の『獄門島』は完全に同価値です。この二作の偉大さは底の底で余りに複雑にストーリーが絡み合う、丁度一人でピラミッドを建造したような人間業ではない構成力で、その偉大さの前ではフォークナーが殺したのが《人間》であり、横溝氏が殺したのが《謎の一駒》である区別など取るに足らなく思えてくるのです。同様にモームの短編と清張氏のそれはただ天性の話術を楽しみたくて、カミュとジャプリゾは語感に漂う心理の悲しい響きを聞き度くて共に僕の中では一つの小説世界として完全に融合しあうのです」(『幻影城』一九七八年五月号)