- 2019.11.12
- インタビュー・対談
人気作家・万城目学の無職時代──青春記『べらぼうくん』に書かれなかったこと
「オール讀物」編集部
「就職氷河期世代」ど真ん中の作家が「無職の恐怖」を初めて語った
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#随筆・エッセイ
無職の道を選びとった「戦略」
大阪城を眺めながら育った“歴史好き”の青年が、いかにして「作家・万城目学」になったか――。その臥薪嘗胆、抱腹絶倒の日々を綴ったエッセイ『べらぼうくん』が話題を呼んでいる。
なかでも反響が大きいのは、万城目さんの無職時代。京都大学法学部を卒業後、就職した財閥系の大手化学繊維メーカーをわずか2年で退社し、「小説を書くために」無職の道を選びとるくだりだ。
時あたかも「就職氷河期」真っ只中。よりによって新卒大学生の求人倍率がもっとも低かった年(2000年)に手にしたエリート正社員の切符をなげうって、先の見えない「闇の中」へと身を沈めていく孤独な青年の姿が、読む者の心をつかんで離さないのである。
「エリートが苦しむ姿を安全圏から眺めることほど楽しいことはありませんからね(笑)」
万城目さんはこう意地悪に笑いつつも、けっして徒手空拳で無職生活に突入したわけではない、その「戦略」を明かしてくれた。
「会社員生活2年間で貯めた200万円、さらに失業保険を50万円もらいまして、当面の生活費として250万円を確保しました。母親が東京に所有していた築30年のオンボロ雑居ビルに空き部屋があり、管理人を兼ねてそこに住み込めば家賃不要という幸運にも恵まれ、ひと月10万円の生活費を使っても、2年間は無職のまま小説を書いていられる算段がついたのです」
パトロンなき身で夢を追うには
「世に『パトロン』という言葉があるように、昔の絵描きさんには、必ず生活を支えてくれる理解者がいました。夢を追うためにも、『ご飯を食べる』ことにおいて、なるべく不安のない状態を確保する。どんなに超がつく天才であっても、芽が出るまでは誰かに援助してもらっているわけですから、パトロンがいないならば、まず独力で生活費を蓄えるプランを立てるべきです。そして、そのお金がなくなるまで、期限を切ってチャレンジしてみる。
僕の場合、会社に入ってまず静岡の工場勤務になりました。地方ですから、みなさんまず車を買うのが普通なんですけど、僕は『土日は遊ばない』と決め、車を買わず、ずっと小説を書いていました。気がついたら200万円、貯まっていましたね」
万城目さんが退職を決意したいちばんのきっかけは、東京本社への異動の内示だった。
「工場では経理を担当していたのですけれど、総合職採用でしたし、2年を終えたところで、より専門性の高い、仕事内容も難しい東京の本社勤務を命じられました。僕にとっては、いわば地方リーグから一軍に上がるようなもの。中途半端な気持ちではできません。でも、自分自身、経理マンとして何十年もプレーするのは違うなあ、というのがありましたから、『辞めよう』と決意が固まりました。結局、会社員生活は2年3か月。26歳の7月から無職生活に入りました」
入館料1000円が払えなかった日
『べらぼうくん』のクライマックス、第4章の無職篇は、お金なき若者の「せつなさ、やりきれなさ」に満ちあふれて、まさに全篇中の白眉だ。
たとえば、書いた小説を友人に読んでもらうべく、原稿をコピーし郵送する場面。コピー代を少しでも浮かしたいと思った万城目青年は、ふと母校・京都大周辺に「5円コピー屋」が林立していたことを思い出す。国立大学の近所に行けば、同じように「5円コピー屋」があるはずだ。こう考えた万城目青年は、コピー代と電車賃を握りしめ、一路、一橋大学へと向かうのだが……(悲喜劇の顛末は『べらぼうくん』でお楽しみください)。
「無職になってしばらくたつと、金銭感覚がシビアになってくるんですよ。ほんとの話、100円が1000円に、1000円が10000円にも感じられるんです。最近は紙の裏面に広告を入れることで無料で印刷できる『ゼロ円コピー』なるものを設置している大学もあるそうで、隔世の感がありますね。単純にうらやましいです」
本には書かれなかった“秘話”を、いくつか教えてもらった。
「無職真っ最中、気分転換に神戸へ遊びに行きまして、異人館の建ち並ぶ山の手エリアに足をのばしたことがあります。有名な『うろこの家』、あそこ、入館料が1000円するんです。当時の僕には1000円、払えなかったです。修学旅行の生徒さんたちが平気な顔で『うろこの家』に入っていくのを横目に、恥ずかしながら、登ってきた坂道をそのまま引き返しました」
後輩から誘われるのもつらい
「友達の結婚式もつらかったですね。ご祝儀の3万円はきちんと払うんです。問題はその後の旧友たちとの再会です。みんなええとこで働いていて、当然、『万城目は何してんの?』って聞かれますよね。ウソをつくのは嫌だし、隠す必要もないので、『小説書いてる』と答えます。すると、心配されるんですね。でも、心配してもらったところで、今の自分にできることは、うまくいってない現状を説明することだけ。これが非常にしんどいんです。ほっといてくれるのがいちばんいいけれど、心配してくれる人にそうも言えません。嫌な言い方ですけど、自分のうまくいかない毎日を説明して、相手をちょっと気持ちよくさせて『万城目、頑張れよ』って言わせて終わり。この繰り返しです。
後輩の子から誘われるのもつらかったなあ。丸の内で就職して、1年目から年収1000万円超えてる奴が、職場から徒歩1分のレストランを予約してくれましてね。ご飯だけで7000~8000円とられるんです。なんで3000円のお店でやってくれへんの、って。
でも、そういう場で自分のふところ事情を説明して、レベルを下げてくれとは惨めで言えないです。かといって疎遠になるでもなく、誘われたら参加はする。久々だから会って喋りたい、でも顔は曇る……。1000万以上もらってるんやったら奢ってくれよと、正直、思いました。でも後輩は、僕がそんなに弱ってるとはつゆほども思ってないんです。
スーパーにお弁当を買いに行くでしょ。100円割引になったのを買えたら『これを3回繰り返せば1食分浮くぞ』と思う。無職になると、何でも『引いたものを集めて得を実感する』思考法になります。あらゆることを『これで何食分になる』と計算してしまう人間になります。
ただ、基本的にはケチですけれど、お金の使い方にはメリハリをつけていたつもりです。お弁当代をケチってでも、毎月スカパーに3500円払い、欧州クラブチームのサッカー中継は有名どころをぜんぶ観てましたから。無職中の予算である250万円もちゃんと外貨預金に入れ、為替差益で儲かったら生活費にまわさず温泉旅行に行ってました。どう使っても最終的には残高ゼロに近づいていくわけですしね(笑)」
働くことが怖い
どれだけ貯金を減らしても、アルバイトは一切しなかったという万城目さん。
「怖いんですよ。しばらく無職でいると、玄関の外の世間の流れがめちゃくちゃ速く感じられて、バイトするのでさえ怖くなる。ほんとに自分にできるんかなって。自分はもう絶対に世間の速度に合わせることはできない、という気持ちになる。もちろん慣れたらできるんだろうけれど、慣れるまでの周囲からの『無能だ』と見られる視線を想像しただけで『ムリムリムリ!』って思う。そんなストレスを感じるくらいなら、部屋に引っこんで原稿を書いているほうが楽だと。当然、逃げてる部分もあったと思います。でも、部屋を出てバイト先にたどり着く前に、濁流に自分が呑みこまれてしまうようなイメージに襲われるんです。それくらい、動かずにいると、外で働くイメージが恐怖に直結してしまう」
「2年で作家になる」との目標を立てた万城目さん。実際には無職生活ちょうど3年で新人賞受賞を決め、4年目の春、2006年4月に『鴨川ホルモー』で単行本デビューを果たした。
さらに翌年4月、2作目となる『鹿男あをによし』を出版した日に、奥さんと入籍。その後、現在に至るまで、公私とも充実した日々が続いているのには、やはり万城目さん流の「戦略」があった。
作家2年目で年収2000万円に
「『鴨川ホルモー』を出した作家1年目の収入が180万円だったのですが、その時に自分で計画していたのは、1年目で200万、2年目で400万、3年目で600万、4年目で800万の収入を目標にしようと。30歳のデビューなので、3年目か4年目には、かつて辞めた会社の同期がもらっているだろう収入に追いつけるという計算です。
時間をかけて作家になったわけだから、きちんと小説で食べられるようになりたいし、家庭をもてるようになりたい。そういう自分の環境に対する明確な目標はデビューの時からもっていました。当然そうなるべきであると、強い意思はありましたね。
実際のところ、作家1年目に180万円だった収入は、ありがたいことに次の年、2000万円に増えました。ところが、『所得税の平均課税制度』(一時的に収入が増えた人、収入の変動が激しい職業の人の税金の負担を軽減する制度)を知らなくて、2000万円の収入に対し、700万円ほどの所得税をそのまま納めてしまいます。会社員時代、経理マンだったのに! 制度を上手に使えば、100万円程度の納税額で済むんですよね。しかも、一年以内なら申告内容の修正が可能なのに、それも知らなかった。返す返すも悔やまれます。もしも最近、予想外のヒットを飛ばした作家さんが読んでくれていたら、ここだけ覚えて帰ってほしいです。
26歳で会社を辞めた身としては、たとえ32歳で2000万円もらったとしても、単純に「やった!」にならず、ついつい無収入だった年数で割っちゃうんですよ。6年で割ったら年収333万円の計算になるから、やっぱり会社を辞めずに働き続けていた方が得だなあ、とか。まあ、もともと発想がケチなんですよね(笑)」
母からもらった「ええ奥さんやね」のひと言
「デビューから13年たち、お金のないときのしんどさ、心の余裕のなさを、自分でも忘れかけてるなと思うことがあります。予備校生の時から保存しているカレンダーを引っぱりだして眺めながら、当時の気持ちをひとつひとつ思い出して『べらぼうくん』を書きました。
僕らは、ちょうど社会に出るころ『自分探し』なる言葉が生まれた迷える世代。これも最近、よく考え直すのですが、本来は『自分が社会でするべきこと探し』であるはずなんですよね。どんなにすぐれた哲学者であったとしても迷宮に入りこむこと必至の『自分探し』を、20歳代前半の若者がいきなり始めてしまう悲劇といいますか、実に因業な言葉だったと思います。とにもかくにも、災難続きの超就職氷河期世代です。最近では『人生再設計第一世代』などと命名されてもいますね。
ようやく注目されても、時すでに完全に遅しというやつで、何千万円も収入があるであろうニュースキャスターが『氷河期世代の対策を~』などと語っているのを見ても、『この人、無職の気持ちなんて1ミリもわからないだろうに』と意地悪く思ってしまいます。実際に対策を考えている官僚の人たちにだってわからないでしょう。終身雇用の公務員と無職、互いに接することのない者どうしが手を組んで、早急に劇的な効果を生みださなくてはいけない難しさを感じます。簡単に『無職の氷河期世代を再雇用せよ』と言っても、働く自信をなくしている当人にもう一度自信をつけさせるにはどうしたらいいのか、僕にも想像がつきませんから」
最近、「週刊文春」(2019年10月24日号)の名物コーナー「新・家の履歴書」に登場し、これまでの「家」遍歴をふりかえってみたという万城目さん。
「自分としては都内に一戸建てを買うなんて『絶対ない』と思っていたんですが、4年前、妻が『住みたい』と見つけてきた家を買ってしまった。その時、大学時代、鴨川のほとりに座って『人生は何のためにあるのか』と悩んだことを思い出しました。
週刊文春のインタビューでは、『悩んで、悩んで、作家になって、稼いで、そして蓄えは全部、妻が欲しいと言った家に消えていく、そういうオチだったかあ』と、つい本音を語ってしまったのですが、その箇所を実家の母が読んで、『ほんまにええ奥さんに出会えたね』との感想が届いたので、まあよかったかなと(笑)」
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