裏日本に生まれた哲学が、どんよりとした日本海が似合うような雰囲気を持つのは不思議なことではない。和辻哲郎のように、瀬戸内海のそばで、西日本の穏やかな地域から生まれた哲学と雰囲気が異なるのはよく分かる。
冬の日本海は、「津軽海峡・冬景色」がぴったりと当てはまる、暗く重い世界だ。暗く重い世界を担って生まれた人間はそのような世界を持ち続けながら生きる。
だからなのかどうか、私は大学に入ってハイデガーの「世界内存在」という概念を習っても、心は躍らなかった。なぜだったのか。いや、「世界」という言葉で「世間」という日本的な、拘束の多い、狭い世界を考えていたのかもしれない。
日本海側から表日本のメトロポリス東京に出てきたのだが、そこは、田舎者を無慈悲に呑み込む海だった。貧乏で、惨めで、寂しかった。
父親はスコラ息子の東京遊学のために何も言わずに金を出してくれた。不足しがちな金額だったが、アルバイトをして足りない分を稼ぐつもりだった。それでも月末に金が足りなくなって無心の電話をすると、理由も聞かずに仕送りしてくれた。
貧乏学生ではあったが、バイトをしながら私は哲学書を買って読み耽っていた。哲学書を読む以外は放蕩生活だった。酒とパチンコを覚え、金が入ると、その世界に溺れ続けた。
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