樺太(サハリン)生まれのアイヌ、ヤヨマネクフ。帝政ロシアの不当な搾取と理不尽に反抗の声を上げたために、サハリン島へ流刑にされたリトアニア生まれのブロニスワフ。一九世紀末から約四十年間に及ぶ、実在する二人の生の軌跡を描いた川越宗一の『熱源』を読むと、強者の論理や文明という名の侵略に立ち向かった懸命な精神に触れ、胸がカッと熱くなる。
幼い頃に流行病で両親を亡くし、引き取ってくれた遠縁の一家と共に北海道に移住。美しい妻をめとり、息子をもうけるものの、痘瘡で妻を失い、彼女の「いつか生まれた所へ帰りたい」という願いをかなえるために樺太に帰郷。幼なじみの「理不尽の中で自分を守り、保つ力を与えるのが教育」だという言葉に共感し、アイヌの子どもたちのための学校を作る手助けをするようになるヤヨマネクフ。
十五年という懲役刑期と、その後の流刑入植囚としての十年が明けなければ自由になれない現実に押し潰されそうになりながらも、サハリンの原住民のひとつであるギリヤークの人々と仲良くなり、彼らの言葉や文化を書き記すことで自分を保ち、やがて民族学者になるブロニスワフ。
ロシア人や和人(日本人)に、「未開人」と差別され、いずれ滅びゆく運命にあると決めつけられていたアイヌの人々。その一人として、「俺たちはどんな世界でも、適応して生きていく。俺たちはアイヌですから」「アイヌって言葉は、人って意味なんですよ」と誇りを失わないヤヨマネクフ。白瀬率いる南極探検隊に犬ぞり担当として参加することにもなるこの傑物の生涯に、武力行使による「弱肉強食の摂理」ではなく、その摂理そのものと戦うことで故郷の独立運動を成就させたいと願うブロニスワフの生き方を交錯させ、作者は真に強い人間像を見せてくれる。
「生きるための熱の源は、人だ。/人によって生じ、遺され、継がれていく。それが熱だ」。ヤヨマネクフが南極大陸で抱く思いそのままに、この小説には大勢のアイヌやギリヤーク、二葉亭四迷や大隈重信、金田一京助といった実在の人物が登場して、互いの「熱」をぶつけ合う、重ね合う。その熱によって「強いも弱いも、優れるも劣るもない。生まれたから、生きていくのだ。すべてを引き受け、あるいは補いあって」というシンプルな真理があぶり出される物語なのだ。
アイヌの音楽や物語を録音したブロニスワフ。ヤヨマネクフの口述を筆記した『あいぬ物語』や、アイヌの少女・知里幸恵による神謡の日本語訳を出版した金田一京助。「子孫が己を振り返らねばならなくなった時のために。文明が、野心やら博愛やら様々な衣をまとって全ての境界を曖昧に煮溶かしていく時代のために」遺そうと尽力した人たちの中に、川越宗一が『熱源』をもって加わったのである。
かわごえそういち/1978年、大阪府生まれ。龍谷大学文学部史学科中退。16世紀から17世紀にかけ日本、朝鮮、琉球を生きた男達を描く『天地に燦たり』で2018年に松本清張賞を受賞した。
とよざきゆみ/1961年、愛知県生まれ。書評家。著書に『ニッポンの書評』他、共著『文学賞メッタ斬り!』等。「鮭児文学賞」を主宰。
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