- 2019.12.07
- 書評
前代未聞の1万字解説! 「苛烈で、繊細で、孤独で、その瞬間、一人だけ共にいた」
文:小林直己 (EXILE/三代目J SOUL BROTHERS)
『主君 井伊の赤鬼・直政伝』(高殿 円 著)
『主君』の世界で描かれるのは、激動の戦国時代を経て、徳川家康による幕府の統治の下、約三百年も続く戦のない時代を作り上げた人々の物語である。ひとくくりに語ることができないことは容易に推測できるが、その中で著者は、二人の将に光を当てた。井伊直政と木俣守勝である。「主君」と「家臣」である二人は、肩書きだけで語り切れるほど単純な関係ではなかった。ここで描かれるのは、当時の家制度がもたらす、他者から求められるものの巨大さに支配された一種の運命論なのかもしれない。取り上げられることの多い直政だけではなく、守勝の目線から「仕える」という行動の真髄に迫ることは、今日を生きる私たちに大切なことを気づかせてくれるはずだ。まずは二人の背景から探っていこう。
井伊直政については、宝賀寿男氏が編纂した『古代氏族系譜集成』に収録された三国真人系図のなかに、井伊氏の祖にあたる共保(ともやす)の名があり、その後、子孫は源頼朝に仕えたとされる。物語の始まりでもあった、現在の静岡県である遠江国を治めたのは直政の曾祖父にあたる直平であり、戦国時代には、駿河・今川氏の配下であった。直平の八十五年の人生で、男子五人女子一人に恵まれながら、今川義元、氏真親子により、次々に子が殺され、ついには曾孫である虎松(のちの直政)が二歳にしてその命を狙われることになる。
その身は新野左馬助によって隠されるが、その間、井伊家の家督を引き継いだのは虎松の叔母にあたる女性――大河ドラマでも取り上げられた直虎である。井伊家一族が滅亡の危機にさらされた時、直虎は虎松という唯一の希望を残した。その後、十五歳の時、鷹狩りに出ていた徳川家康の目に虎松が留まり(井伊家関係者がお膳立てしていたとされる)、その出自から小姓として取り上げられ、そこから直政の快進撃が始まる(家康には六歳から織田信長に、八歳から今川義元に、人質として捉えられていた過去がある)。このようにして、直政は生まれながらに、長い歴史を持つ井伊家の存亡がその両肩にのしかかっており、井伊家の復興は必ずやり遂げなければならないことだった。