数々の困難のたびに立ち上がったのは、ここに住む人々だ
首里城へも行った。その本殿など主要施設が全焼した痛ましい火災の後で、城郭エリアは立ち入りできなかった。遠く、複雑な曲線を描いて高くそびえる石垣の向こうに、ぐしゃぐしゃになった赤瓦が覗いていた。本殿に隣接し、ために延焼した北殿の屋根だ。
とても悲しく感じた。同時に、妙な自制心がからみついてきた。
かつて壮麗な王城だった首里の丘陵は戦争によって、崩れた石垣だけが残る廃墟に変わった。それから壮大な努力が傾けられ、すこしずつ丘は往時の姿を取り戻していった。
首里城だけではない。沖縄に流れていた独自の時間は、日本に編入されてその輪郭が大きく揺らいだ。次いだ1945年の激しい地上戦は、沖縄の歴史を語る遺構と貴重な記録を、数多の人命とともに薙ぎ払ってしまった。戦後、この島で連綿と続いた文化の復興や遺構の復元は、文化事業や観光資源の開発にとどまらない。この島の人々が未来を見据えていくために過去を、誇りを、ひとつずつ取り戻していく作業であり、首里城の正殿はその営みのシンボルであったように思う。
沖縄を訪れた司馬遼太郎が「いわゆる沖縄問題の議論を青春のアクセサリーのように論じてきた東京の過去や現在の学生たち」なる人々の存在を指摘したのは、いまから40年少し前だ。居住者、職業にかかわらず、そういう行為は今も絶えないように見える。
先に挙げた地上戦の前にも後にも、この島には数々の困難があった。そのたびに立ち上がったのは、ここに住む人々だ。首里の丘に元の姿を取り戻したのは、県民の願いと、それに共感して奔走した県外の人々だ。正義や理想を装った自分の表現欲求の充足のために「アクセサリー」のごとく島の困難を拝借して恥じない(ぼくは感心しないからこう書く)人々や、ただ悲しい景色を見上げるしかできないぼくでは、ない。
ぼくは、どう感じればいいのか。焼け跡を見上げて、わからなくなった。その「わからなさ」が、からみつく妙な自制心の源だった。
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