その「お気に入りの役者」のひとりはJ・ファレル・マクドナルド J. Farrell MacDonald にほかならぬとフォード自身は告白しているが、いかにもアイルランド系に見えながら実は生粋の合衆国生まれだったこの役者が重要な役を演じている『香も高きケンタッキー』もまた、「会社から投げ与えられる」脚本にもとづくものであったのはいうまでもない。ところが、戸外場面の撮影のために「はるばるケンタッキーくんだりまで出かけた」(前掲書91頁)というフォードは、そのロケーション先で、思いもかけぬ奇妙な体験をすることになる。一頭の雌の仔馬に愛されてしまったというのだ。「撮りながら、お笑いをどっさりつめこんだ」(同前)という彼は、さらにこうつけ加えている。
「雌の仔馬がいて――実にホレボレする容姿だったよ――、それが、何かと私にすり寄ってきたっけ。群れから一頭だけ離れて、俺んところばかり来るんだ。俺の帽子をくわえて逃げ、こっちをふり返る。そして、トコトコ戻って来ては地面に落とす。拾おうとすると、またくわえ上げて逃げていく。持ち主が言ったもんだ。『どうして名前をつけてやんなさらない? あのこは監督さんにホレてるんですぜ』」(同前)。その言葉を受けてフォードがメアリー・フォード Mary Ford ――それは、ほかならぬ彼自身の妻の名前でもある――と名づけたのだというこの仔馬は、長じて競馬レースで三度も優勝したという。この映画の撮影中にフォードの身に起こったこの雌の仔馬との挿話を読むと、わたくしが誘いこまれた映画史的な錯覚なるものが、さほど現実から遠くはなかったのかもしれぬと思わずにはいられない。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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