そのとき、映画が音を欠いた視覚的な表象手段として誕生したのは、それが人類にとってはどれほど不自然なことであろうと、馬たちにとっては、この上なく自然で、またこの上なく幸福なことだったに違いなかろうという確信となってふくれ上がり、その思いを誰もがもはや抑えきれなくなっている。その確信は、この馬たちの引きしまった四肢を覆う短い毛並みの艶や、その額を彩る白い斑点などをキャメラにおさめるというただそれだけのために、映画はあくまでモノクロームの画面として誕生したのだという新たな確信へと見るものを導き入れずにはおかない。そうした理由から、このフォード論は、人間ではなく、あくまで馬について語ることから始まる。
もちろん、それのいずれもが途方もなく愚かな錯覚でしかないことは、誰もがよく知っている。にもかかわらず、せめてこの作品の上映が終わるまでは、エドワード・マイブリッジ Eadweard Muybridge やエティエンヌ=ジュール・マレー Etienne-Jules Marey による疾駆する馬に向けた前=映画的な連続写真の試みや、リュミエール兄弟 Auguste et Louis Lumière による「シネマトグラフ」Cinématographe やエディソン Thomas Alva Edison による「キネトスコープ」Kinetoscope の開発といった映画史的な現実を思いきり意識から遠ざけ、映画は馬とともに、ただひたすら馬のためだけに、まったく音を持たない黒白のスタンダード画面として誕生したのだという甘美な錯覚にひたりきっていたいと思う。そうせずにはいられない不可思議な魅力が、この作品にはみなぎっているからだ。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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