馬の普及が遅れた日本
考古学のデータは、縄文時代、弥生時代の日本に馬がいなかったことを示しているが、それを裏付けるのが、いわゆる「魏志倭人伝」である。魏 ・呉 ・蜀時代の中国の史書「三国志」に収められた日本についての報告だが、邪馬台国の時代(三世紀ごろ)の日本には、牛、馬、虎、豹、羊、鵲いなかったと記録されている(原文「其地無牛馬虎豹羊鵲」)。
日本史でいえば弥生時代後半の時期から、朝鮮半島では馬の利用が始まっている。日本列島と朝鮮半島との交易は弥生時代にもあったので、当時の日本には馬の存在を知っている人がいたはずだ。一頭、二頭というレベルで、馬がもちこまれた形跡もある。しかし、当時の日本社会に馬は根づいていなかった。
なぜ、日本では馬の普及が遅れたのか。
考古学者の桃崎祐輔氏は、騎馬文化にかんするシンポジウムで、「日本列島に朝鮮半島から馬が来る契機はたくさんあったはずなのに、この段階まで遅れたのは、たぶん朝鮮半島側で技術流出を恐れていたからでは」と発言している。
世界の歴史のなかで馬は軍事力の根幹だった。「ウマの取引にはさまざまな制約があった。ひとつには安全保障上の理由──すなわち軍事的優位を守るためだ」(J・E・チェンバレン『馬の自然誌』)というのは当然のことだ。
こちらもおすすめ
-
実力より人柄と家柄。こんな人事がなぜまかり通る!?
2019.11.20インタビュー・対談
プレゼント
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。