しかし三十年近くも文明から隔絶された、限りなく太古の人類に近い生活を送っていた人間が、いきなり現代の日本に投げ込まれたならば、とうぜん心身に不調を来すことが危惧されるだろう、ところがこれは周囲の誰しもが驚いたことなのだが、苦もなく、素早く、今や世界第二位の経済大国となったこの国の流儀に、元日本兵は適応してしまった、新幹線に乗っても、揺れの少なさに感心はしても、その速さを怖がるようなことはなかった、東京都心の高層ビルや繁華街を往き交う何千という通行人を見ても、無感動に押し黙ったままだった、戦争が始まる前、一升当たり四十銭だった米の価格がほぼ一千倍になっていることを知ったときにも、物の値段なんて、そんな程度のいい加減なものだろうという反応だった、見合いをして、結婚もした、食事も、洋食であろうと中華料理であろうと、他の人と同じ物を文句もいわずに食べた、ただ生魚にだけは、けっして箸をつけなかった。元日本兵は日本じゅうを講演して回るようになり、雑誌の対談記事やテレビのワイドショーにもしばしば登場した、じっさい帰国から一年が過ぎても、マスコミからの取材依頼は途切れることなく続いていたのだ。ところがそれから更にもう一年が経った春に、フィリピンのルバング島の山中で、元日本陸軍少尉が発見された、元少尉は自分は今でも軍人であり、上官から命令された任務が解かれない限りはぜったいに投降しない、戦闘を続けるといい張ったため、かつての上官がわざわざ現地まで赴いて、文語文で書かれた任務解除命令、投降命令を読み上げて、ようやく帰国の途についた。グアム島に二十八年間潜伏していた元日本兵が最後の未帰還兵だとばかり思っていた当時の人々は、更にその上がいたことに唖然としたが、じっさいにはこの二人に限らず、終戦後も日本には帰らず、現地に留まった日本兵は大勢いたのだ、戦争中にベトナム人女性と結婚し、二人の子供を授かった下士官は、妻子を捨てて帰国しようとしたのだが、引き揚げ船の出航直前に気が変わり、下船してそのままハノイに住み着いた、古参将校から理不尽な暴力を振るわれていた軍属は、終戦を知らされると同時にその将校の右肩を蛮刀(ばんとう)で斬り付けて、マレーシアの密林へ逃げて行方をくらました、軍人、そして日本軍という組織そのものに幻滅して、嫌気が差して逃亡し、現地に残留した兵士、戦犯になることを怖れて帰国しなかった兵士は少なからずいたのだが、中には日本政府が約束したインドネシアの独立を、たとえ自分は一人になっても支援し続けると宣言して、危険を冒しながら同国独立派に日本軍の武器を横流しした学徒兵もいた。こうした現地残留日本兵の総数は、一万人とも、それ以上ともいわれているのだが、理由はそれぞれに違ってはいても、彼らは皆、戦争の終結、日本の敗戦という事実を知った上で、自らの判断で現地に留まることを選択した兵士である、という意味では同じだった、日本が戦争に負けたことを知らぬまま、もしくはその事実を頑なに受け容れぬまま、何十年も潜伏生活を続けたグアム島とルバング島の二人は、やはり異常だ、常軌を逸しているといわざるを得ない。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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