我々第三者からすると、ルバング島の元少尉が帰国してからというもの、グアム島の元日本兵はどことなく影が薄くなってしまった、羽田空港に特別機が到着したとき、ルバング島の元少尉はタラップの上から、出迎えの人々が振る日の丸の小旗に向かって右手を高く上げて応え、身体を半回転させてもう一度右手を上げた、綺麗に刈り込まれた短髪、微笑みながらも鋭い眼光、日焼けした浅黒い肌、真っ白いワイシャツ、濃紺の背広を着た背筋はまっすぐに伸びて、タラップを降りる足取りも軽快だった、凱旋将軍とも見紛う帰国だった、飛行機から降りるなり弱々しく車椅子に座り込んでしまった、頬のこけたグアム島の元日本兵とは大違いだった。「そりゃあ、あの方は将校だから、陸軍中野学校出身のエリート軍人なのだから、ずっと穴に隠れていた臆病な下士官なんかと一緒にして貰っちゃあ困る。少尉と伍長では、文民に置き換えてみたら貴族と下町の商人ぐらいの身分の差だ。だいたいグアム島の元日本兵は、戦争前は仕立屋だったそうじゃあないか……」確かに元日本兵はもともと、洋服の仕立職人だった、父親が洋服屋だったから、自分も同じ職業を選んだのだ。元日本兵が生まれた頃には既に、両親は折り合いが悪く、母親は生後三カ月の乳飲み児を籠の中に置き去りにして、書き置きも残さずに実家へ戻ってしまった、洋服屋だった父親は仕事熱心な、真面目な男ではあったが、子供には興味がなかった、もしかしたら自分の子ではないのかもしれないという疑念を拭い切れなかったのかもしれない、父親は妻の実家を訪れた、たまたま妻は不在だったが、忘れ物だといわんばかりに義姉に産着に包んだ赤ん坊を押し付けて、逃げるように帰ってしまった、母親は母親で、子供が再婚の妨げとなることを怖れていた、そうでなくとも「出戻り」というだけで、隣近所から陰口を叩かれるような時代だったのだ。母親は意を決して父親に会いに行き、いずれこの家の跡取りとなる息子なのだから、あなたが責任を持って面倒を見るようにといい放って、何も返せずにいる父親の胸に赤ん坊を預けた、帰り途、これでもう死ぬまで、あの子の顔を見ることはないだろうと思うと涙がこぼれた。ところがそれから一週間後、父親は赤ん坊を連れてきたのだ、真夏の蒸し暑い午後だった、顔じゅうを真っ赤に染めて、涎を垂らしながら泣き叫ぶ汚らしい我が子を見て、母親は暗澹(あんたん)たる気持ちになった、こいつに人生を食い潰されそうな気がした、再び父親に赤ん坊を突き返したが、父親も受け取りを拒否した、気の毒なことに子供は両親の間を二往復半もさせられた後で、けっきょく根負けした母親の実家で引き取ることとなった。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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