「死を思う」時代の要請
近年、死生観という言葉がよく使われます。
本来、死生観というのは個人個人が持つようなものではなかったのではないでしょうか。ある時代の日本人の死生観はこうであった、といった使われ方をする言葉だったはずですが、今は一人ひとり、自分はどのような死を望むのか、個人の死生観が必要とされるようになってきている、とも言えます。
高齢者のおよそ半分ががんで亡くなっているというぐらい、がんという病気はいまは日本人の死因の中で大きな割合を占めるようになっています。
このことが、いやおうなしにその個人の死生観が問われる事態を引き起こしてもいます。あなたがあと三年、五年生きられる確率はだいたいこれぐらいですよ、と告知されれば、ではその三年、五年をどのように生きて、どんな風に死を迎えたらいいか、だれでも考えざるをえないからです。
終末期医療の問題もあります。
がんの末期になれば、肉体的な痛みを和らげる手当はしてほしいけれども、いわゆるスパゲッティ症候群といわれるような、あちこち管でつながれたような状態で、生物学的に生きているだけ、という形で生かされるのはごめんだ、と考える人が非常に多くなってきています。
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