遠くなった死
死が遠くなったと言われます。少子化、核家族化が進み、身近な人の死に出会う機会はぐっと少なくなりました。
医者をしていた私の父が亡くなったのは一九五四(昭和二九)年の年末のことです。亡くなった場所は自宅でした。
母が湯灌と清拭をして、体液が漏れ出すことのないように耳や鼻などに綿を詰めていくのを、傍らで高校生の私も手伝いました。棺が届くのを待ちながら、人が死ぬとどうなっていくのかということを、身をもってわきまえることができた経験です。
普通に役所に届けたのでは火葬が年明けになり、かなり日が空いてしまいます。父と親しかった友人の医師に頼んで、死亡時刻を半日早めた死亡診断書を書いてもらって、なんとかその年のうちに荼毘に付すことができました。「違法」行為として、いまならば考えられないことかもしれません。
隣に住んでいた母方の祖母が一九六四(昭和三九)年に亡くなったのも、やはり自宅でのことでした。
ピアニストだった三歳上の姉が一九九九(平成一一)年に亡くなったのは病院ででした。二〇一一(平成二三)年に母が亡くなったのは自宅でのことでしたが、かつて、母が私とともに父に施したような死後のさまざまな処置は、ケアマネジャーが手配してくれた看護師と介護士の手ですべて行われました。
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