「わたしたち」も、また彼女たちの妄想を交えて綴られる「わたしたちのファミリー」も、常に覚悟をしている。真汐は「生涯たった一人でも生きて行けるように心を鍛える」し、日夏は「わたしたち三人も同級生たちも、一生〈ファミリー〉などと言って遊んでいられるわけではない」と考えている。わたしたちは「わたしたちがわたしたちのために語って来た物語」の未来に、喜ばしい甘みが必ず見出せるだろうと期待し続ける。「道なき道を踏みにじり行くステップ」と自分のダンスに名づけた日夏に、「わたしたち」はかすかな息をつく。「しんどそう」という率直な感想をもらしながらも、この物語に描かれていない「未来」が薄暗いものには思えない。むしろ、希望を感じてしまうのは、彼女たちの言葉と、行動の選択が、常に誠実だからかもしれない。
沢山の快楽と不快がこの物語には詰まっているが、一番薄気味わるく印象に残るのは、鞠村という支配的な男子と苑子という他クラスの少女が「恋人同士がやるだろうことを一通りなぞっている」光景だ。この光景は、不快でも快楽でもない、「無」だった。道ある道を進んでいるつもりの人間こそ、一番難解な場所にいるのではないかと感じさせられる。
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