彼女たちの肉体は、「家族」に対して誠実に反応する。例えば、本当の母親である伊都子さんに褌を穿かされた空穂の家に集まり、空穂は真汐に体重を預け、真汐の腕は日夏にぴったりとくっついたとき、「日夏の体は甘く寛ぐ」。真汐は日夏が自分の頬を指で軽く叩いた動作を英語で調べ、「(子や妻に示すような)愛情、優しい思い」という言葉に惹きつけられる。「触れられた頬にもとろけそうな喜ばしい感覚が起こった」と真汐は思う。大切な、信頼できる相手の前で、心地よく筋肉が弛緩すること。じゃれあった指先が性愛におさまらない家族としての快楽に満ちていること。誰かの体温の中を安堵しながら漂うこと。
私は「家族」という言葉を汚しすぎていて、そうした肉体の動きについてわからなくなっていた。たとえ疑似家族であっても、身体が相手を家族だと認識し、そうした反応をするなら、現実での関係性の名前がどうであるかなど関係なく、肉体にとってその人は「家族」なのではないかと思う。
もちろん、これらは「わたしたち」の妄想が紡ぎ出した言葉だから、実際に三人がどんなふうな肉体感覚の中で戯れていたのかはわからない。けれど、そうした言葉を必要とする、「わたしたち」の気持ちが、とてもよく理解できる気がする。語り手である「わたしたち」は、目撃者ではあるが、部外者ではなく、誰よりもこれらの言葉を必要としている少女たちなのだと思う。
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