わざわざ触れるべきなのかどうかわからないが、この設定を見てやはりどうしても思いだすのは『裏ヴァージョン』の中で昌子が書いていた、「まだ本格的に構想を練ってはいない」物語のことだ。昌子が「パパとママと王子様」と呼ばれる三人の女子高生の物語について語り、「もし将来本当にこの作品が書かれたら、書評担当者は右記のあらすじをご利用ください」と書かれているのを読んで、「本当にこんな本があればなあ」などと呑気に考えていた自分が、本当にこの物語の書評を書くことになるとは、夢にも思っていなかった。
昌子の言葉を引用するのがいいことなのかはわからないが、彼女は『裏ヴァージョン』の中でこう綴っている。
「疑似家族を使った方が、現実の、同じ家屋内に縛りつけられている家族の間で起こったのだとすればあまりにも息苦しくおぞましい出来事を描いても、陰惨な印象がやわらげられて読みやすくなるのではないか」
昌子が語っている通り、疑似家族である「わたしたちのファミリー」には体罰や近親姦(に近いもの)が発生する。それなのに、なぜか読んでいて、出来事や綴られる言葉の純度の高さに打たれるような、そのことで、身体の中で捩じれていた細胞が、ゆっくりと元の場所へ戻っていくような、不思議な感覚に陥った。「家族」という言葉を汚しすぎて見ることができなかった感情の揺れ動きや、家族という生きものに対する肉体の反応などを、徹底的に浄化された言葉で体験し直しているような気持ちになった。この三人の、安易に名付けることができない関係性の中に、何かの「真実」や「本質」を見ることができるような気がしてならないのだ。
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