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主人公の成長物語を読みながら、自分の中の子どもの部分が何度も疼く。

主人公の成長物語を読みながら、自分の中の子どもの部分が何度も疼く。

文:中江 有里 (女優・作家)

『車夫2 幸せのかっぱ』(いとう みく)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

『車夫2 幸せのかっぱ』(いとう みく)

 走が車夫にスカウトされたのは、その脚のおかげだ。

「つなぐもの」の遠間直也は、何も言わずに退学した走に裏切られた気持ちのままでいる。

 陸上部で同級生だった直也は走の退学の事情を知らない。知らないから夢半ばで辞めてしまった彼をまっすぐに恨める。

 走の「家庭の事情」という退学理由を聞いて、高校生の直也がどれだけ想像力を働かせることができるだろうか。

 陸上については門外漢だが「走る」ことは人間の本能に秘められているように思う。誰かと競うのではなく、タイムを更新するのでもなく、何かを得るためでもない。ただ自分の心地よさのために、あるいは誰かの喜びのために人は走るのではないか。

 直也の中にある「走ることが好き」というシンプルな気持ちを、走が気づかせてくれた。だからいきなり消えてしまった走に対して戸惑っているのかもしれない。

 車夫はただ俥を引いて走るだけじゃない。そうした乗り物は他にもあるが、人の動力で走る乗り物はそれほど多くない。車夫は客を乗せて走り、客の時間を共有する。

 走に付きまとう謎の女性を描いた「ストーカーはお断りします」の香坂さんはあまりに一途で悲しい。少々打算的な方が生きやすい(と思う)世の中で、この人はあまりに優しく、打算がない。そのことが自分を追い詰め、誰かを追い詰めてしまっている。優しい言葉をかけられた、それだけで走に執着してしまった香坂さんはそこまで追い詰められていたのだろう。

 そのことに走が気付けるのは、自身の両親が追い詰められて出奔してしまったから……皮肉だがそういうことだろう。

 苦しく、悲しい思いを知っている人は、同じ気持ちの人に敏感になる。逆に言えば、幸せな人は苦しみには鈍感になる。

文春文庫
車夫2
幸せのかっぱ
いとうみく

定価:869円(税込)発売日:2020年05月08日

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