- 2020.05.19
- 書評
主人公の成長物語を読みながら、自分の中の子どもの部分が何度も疼く。
文:中江 有里 (女優・作家)
『車夫2 幸せのかっぱ』(いとう みく)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
多少のお節介はできたとしても、他人の人生に本当に踏み込むことはできないのだから。
「やっかいな人」の乃亜は走とそれほど年は変わらない。父の再婚に複雑な感情を抱いているが、走の立場からいえば贅沢な悩みでもある。
乃亜と走の決定的な違いを挙げるなら、乃亜は子どもでいられる。しかし走は大人にならざるを得なかったというところではないか。
親に対し傲慢ともいえるほどの態度をとれるのが子どもの特権だ。衣食住はもちろん、教育を受けることも保証され、愛されて当然の子ども。そんな自分を差し置いて、親が自分の都合を優先しようとしている、それが許せない! (どう考えても傲慢でしょう)
白状するとわたし自身、乃亜と同じような思いを抱えたことがあった。振り返って自分の身勝手さに今も赤面してしまう。当時は親が恋愛するという生々しさに耐えられなかっただけだ。
家庭の事情で大人にならざるを得なかった走だって、まだ子どもの部分は残っている。
「ハッピーバースデー」で母に会うかどうかを迷うのは、走の中で大人と子どもの自分がせめぎあうからではないか。そのせめぎあいの中で、走は自分の本心に気付き、母の気持ちに思いをはせるようになる。
どれだけ年を重ねても、人は子どもの自分をどこかに持ち続けて、共存しているのだと思う。走の姿を追いながら、自分の中の子どもの部分が何度も疼いた。
本書は走の成長物語であるが、実は大人たちの成長も描いている。
わたしもまだまだ成長の余地がある、と気づかせてくれた。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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