二〇〇一年、『愛の領分』で直木賞を受賞した際に綴られたエッセイに、こんなくだりがある。ちょうど前年に亡くなった母親と対面した時の情景だ。何十年も目を合わせたことがなく、ひたすら怖いとばかり思っていた母親の死顔は、「小さな小さな可愛い顔」だった。それを見て目頭が熱くなったという氏は、心の中で語りかける。
「どうして、その顔で僕を育てなかったんだい。あんたもいろいろと苦労したのは聞いてるよ。だけど、そんなこと僕には関係ない。あんたの傷を子供の僕にぶつけるなんて最低だよ。親戚が、あんたのおかげで作家になれたって言ってた。結果的にはそうかもしれない。でもね、子供の頃の僕が、作家になりたいなんて思うわけないだろう。何になりたかったか分かる? ただただ、幸せになりたかったんだ」
小説の登場人物を、そのまま書き手に重ねるのはナンセンスだ。
それでも、これだけ何度もくり返しこのテーマと向き合おうとしてきたということは、作者にとって母との関係不全とはやはり「自分の生には大きな空洞があるように思えてならない」ほどの生きづらさであり、また、とうに棄ててきたはずの母親そのものが、書いて書いて書き尽くすことでしか鎮めることのかなわない荒ぶる〈神〉であったのだろうと思う。
人よりも多く与えられたもののことを才能と呼ぶのではない。才能とは、人が当たり前に持っているはずのものを持っておらず、その欠落を命がけで埋めようとして発揮されるエネルギーのことだ。
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