その意味において、藤田氏が抱え続けた欠落は確かに、人生を通じて氏に作品を産み出させる原動力となっていた。
でも、それこそまさに、「そんなこと僕には関係ない」のである。
本作の中で塩原が奈緒に抱いた感情が、そもそも恋愛感情だったのかどうかはわからない。といって、たやすく〈純愛〉と呼ぶのも躊躇われる。
もしかすると藤田氏は、恋愛小説のかたちだけを借りながらじつはまったく別のものを描こうとしていたのではないか。恋愛小説というものが、目の前の相手に対する感情の起伏や互いの関係性、また社会との間にどうしても生じてしまう摩擦などを軸に描かれるものだとするならば、この作品の肝はそこにはない。氏が描きたかったのは、変化してゆく関係ではなく、ある特別な条件を満たす二人が密室に揃った時にだけ生まれる「場の空気」または「世界」そのものの、一回性であり絶対性ではなかったろうか。
人と人との間に、ごくごく稀に起こり得る奇跡――作者はそれを「楽園」と名付けた。
謎めいた女の導きによって男は、自らの心の暗がりと初めて対峙し、やっとのことでありのままに認め、その欠落を埋める方法を受け容れた後で、突然失う。あれほど光あふれていた世界に、もう二度と戻れない。知らなければ知らずに済んだ禁断の果実の甘さを、たっぷり味わった末に取り上げられる。これほどの苦しみはなかろう。
――楽園は、失われるものと相場が決まっている。
そんな諦念までもこめて選ばれたタイトルだったのだろうか。
そう思うとなおさら、氏のこれからの作品の深まりを追いかけてみたかった、と詮ないことを願わずにいられない。
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