(全盛期の)イチローと実業団野球の最優秀選手を比べると、遠投能力にわずかなちがいしかなかったとしよう。これは「事実」だが、それを根拠に「イチローと実業団の選手の年俸が何百倍もちがうのは差別だ」と主張したとしたらどうだろう。ほとんどのひとは、荒唐無稽な話と笑い飛ばすか、頭のネジがどこか外れているのではないかと疑うだろう。
イチローと実業団野球の選手では、走力、俊敏性、集中力など、さまざまな能力で一貫した(わずかな)ちがいがある。それが累積して、何百倍もの年俸の差を正当化するだけのアスリートとしての大きな差が生まれるのだ。
男と女も同様に、空間把握能力、言語運用能力、共感力、攻撃性などに(わずかな)ちがいがあるが、その傾向は一貫しており、それが累積して、私たちが当たり前に受け入れている「男らしさ」「女らしさ」になる。──ただしこれは、それらが社会的な影響を受けていることを否定するものではない。
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