「男女平等」の世の中では、「男と女は同じでなければならない」とされている。これは一般に「政治的正しさ(Political Correctness/PC)」と呼ばれている。
これについての私の意見はシンプルで、「男と女は生物学的にちがっているが、平等の権利を持っている」になる。多様性を無視し、「同じ」でなければ人権は与えられないという考え方が差別的なのだ。
「一人ひとり個性があるのだから、性別という属性だけで相手を決めつけることはできない」という意見もあるだろう。これはたしかにそのとおりだが、だからといって「男らしさ」「女らしさ」が否定されるわけではない。
生得的な性差の研究に対して、「男女の遺伝的なちがいよりも、男集団や女集団の遺伝的なばらつきの方が大きい」との批判がある。どういうことなのか、これを「見える化」したのが図表(1)だ。
性染色体で男性(XY型)と女性(XX型)を分けると、それぞれの集団は正規分布している。これは「ベルカーブ」とも呼ばれていて、右に行くほど男らしく、左に行くほど女らしい。行動の性差はホルモンの強い影響を受けているから、テストステロン(男らしさ)とエストロゲン(女らしさ)のちがいともいえる。
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