著者の最初の就職先は、千葉県の幕張新都心店だった。その店は六十人の従業員がおり、その構成は、二ヶ月間だけの短期アルバイト、半年ごとに契約を更新する長期アルバイト(月間百時間未満の労働)、それに準社員(月間百時間以上の労働)の三階層。「猫の手も借りたい」ほどの暮れなどの繁忙期には、販売員になりそうな客を物色し、勧誘する、というのも驚きだ。将来、社員化する、という約束で採用する「地域正社員」というものもあるが、採用基準はきびしいようだ。
「先日UNIQLOの記事が、ニュースになっていましたが、私の娘は息子と二人の母子家庭です。UNIQLOは子育て応援と言う事で、地域正社員希望で●●市の●●店に入社しましたが、一年以上が過ぎてもパートで、閑散期は週一~二日しかシフトをいれてくれませんし、当日ラインが来て出勤してと、日雇い労働者と同じです。完全なブラック企業です」
とのメールが編集部宛に送られてきたという。客が減れば出勤日を減らし、客がふえれば出勤を強制する。販売員は調達自在な資材扱いでしかない。
いま、非正規労働者は総労働人口の三八パーセント強に達する。が、非正規率はユニクロの方が、はるかに高水準である。日本有数の巨大アパレル企業が、非正規の殿堂であることが、日本人の生活不安定化を象徴している。
東京・新宿東口。二〇一二年九月に開店した、一階から三階までがユニクロ、地下三階から一階、四階から六階までがビックカメラ。開店日の朝、入り口に四千人が詰めかけたというこの「ビックロ」館のユニクロは、外国人労働者が「五割」を占める。外国人のアルバイトが多いのは、時給千円では、日本人のアルバイトがあつまらないからだ。
編集部にメールを送ってきた女性の娘は、結局「地域正社員」に到達する前に、中途退社した。人件費は削れるだけ削り、人手が足りなくなると、片っ端から動員をかけて残業を強制する。もっとも原始的な人件費削減法である。
ユニクロは製品を仕入れて販売するだけではなく、SPA(製造小売り)に大転換して成功の端緒をひらいた。一九九〇年代後半にアメリカのGAP、スペインのZARAなどの方式を採りいれるのがはやかったのだ。
「作った商品をいかに売るかではなく、売れる商品をいかに早く特定し、作るかの作業に焦点を合わせる」(前著文庫版58ページ)商法である。
企画、生産から販売までを串刺しして、ユニクロはすべてを管理。下請に生産させた商品は、自社で一〇〇パーセント引き取る。そのため、著者は前著の中国に続いて、この本の執筆のために、香港のユニクロ下請け、カンボジアの下請け工場の取材にでかけることになる。
「製造原価と販売価格の差額が、ユニクロの利益の源泉である。製造原価の大半を占めるのが人件費なのだから、人件費が安いところで作れば、利幅が大きくなる」
そのひとつの例として、横田さんが中国取材で着ていた焦げ茶色のポロシャツは、日本で買ったときは一九九〇円だった。しかし、そのポロシャツは、中国から仕入れたときは三五〇円だった、と前著に書いている。国際アパレル企業が、中国から東南アジアへ、最近ではカンボジアからバングラデシュまで移動したのは、より安い賃金をもとめてのことである。
-
『皇后は闘うことにした』林真理子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/29~2024/12/06 賞品 『皇后は闘うことにした』林真理子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。