そして、女性主人公の栄子(えいし)である。
女優、高島礼子さんとの対談「歴史を動かした女たち」(『オール讀物』一七年七月号)で、伊東さんはこう言及している。
「自作では、これまで女性はあまり登場してこなかったのですが、女性を描きたいという思いもあり、平安時代を舞台にした本作で、それを存分にやろうと思いました」
栄子をめぐる造形に意を尽くしている。タイトルからしてひねりを効かす。頼長の密命を受けて皇后に仕えた女房の意を込めた、秀逸なタイトルと言えよう。
次いで、栄子を「名にし負う醜女」に設定した。どんなブスが登場するのかとおびえていたら、当時「色黒で背が高く、目鼻立ちがはっきりしている女性は、一様に醜女とされた」と出てくる。なんだ、現代美人ではないかと、私たちの気持ちを一気に栄子にひきつける。
しかし栄子には、年若い皇后多子に代わり、近衛帝の子を身ごもれという冷酷な密命が下される。引き換えにしたのは、親も跡を継ぐべき弟も死に絶えた家名存続の約束だ。サスペンスフルに物語の幕は開く。
家への思いと、為すべきことに対する畏れ多さ、多子への遠慮の間で引き裂かれる日々。頼長の密命を多子に知らせた者への怒りに偽書を作って、結果的に濡れ衣を着せてしまったり、自分の運命を呪うがゆえに恋人たちの仲を裂く告げ口をしたりと、女の底の浅さもゆるがせにせず描きだす。もちろん一方で、これらを利用する頼長の抜け目なさを際立たせる。
栄子に与えたのは琵琶の才。管絃によって、多子とも近衛帝とも心の深いところで自然と絆ができ、彼女自身の心も支える。複雑に変遷する権力争いに対して、変わらぬ管絃の真理が物語の救いとなる。そして、保元の乱が遠く去ったとき、一面の琵琶が全盛の平清盛と多子の前に現れる終幕は、物語にふさわしい大団円と言えよう。栄子の怒りや抵抗の精神、子への愛情を結晶させた幕引きだ。
ところで、ラストに用意された鴨長明と琵琶の秘曲「啄木」のかかわりは、実際にあったようだ。長明が「秘曲づくし」という催しを開いたとき、秘曲の伝授を受けていないのに「啄木」を演奏したことで、隠棲することになる「秘曲づくし事件」がそれだ。鎌倉時代の楽書『文机談』に記されている。こうした逸話をもとに「啄木」を大胆にストーリーの中に溶け込ませ、長明の登場を周到に用意したわけだ。
さて、伊東さんが挑戦した女性を描くという側面で、もう一人、多子に触れておきたい。最初はお人形さんのようだった多子が成長し、意思を持ち、保元の乱の危急のときに活躍する。彼女が意図した成果は出せなかったが、鮮やかなきらめきが一瞬、心をとらえて離さない。
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