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いとうせいこう「自分を使って何か別なものを呼び寄せる不思議な執筆体験でした」――『夢七日 夜を昼の國』刊行記念インタビュー

いとうせいこう「自分を使って何か別なものを呼び寄せる不思議な執筆体験でした」――『夢七日 夜を昼の國』刊行記念インタビュー

聞き手:Voicy 文藝春秋channel


ジャンル : #小説

『夢七日 夜を昼の國』(いとう せいこう)

「夜を昼の國」の執筆の経緯

――構想なしで書いてしまう、といえば「夜を昼の國」は構想は一瞬で、かなり短い期間で書き上げたとお聞きしています。

 1か月半くらいで、130枚くらい書きました。「夢七日」が本にしてもらえるって話が出たとき、これじゃいくら何でも薄いと思って「もう一篇すぐ書きますから」って言ったんです。何を書こうかなと思った時に、ふと出てきてしまったのが、古典芸能「お染久松もの」の、お染久松の置かれている状況。「お染久松もの」ってずっと書かれ続けていて、何本もあるんですけれど、僕が特に気になっていたのが「お染久松 袂の白しぼり」です。

 お染と久松が、自分たちが心中するともしないともつかない時に、ふらふらと大坂の街を歩いている。すると、神社の境内で芝居のようなものがやっていて、そこにもう「お染久松」って書いてある。自分たちのことが全部舞台、芸能になっちゃっていて、なんだろうって思いながら見ると、自分たちが心中していくのを自分たちが見てしまう。そういうシーンがあるんです。

 本当にこれはもう、なんて不思議なシーンだろうって思っていました。現代小説みたいな、ラテンアメリカ文学かよこれは? って気になっていたんです。そのことが急に浮かんでスキャンダリズムとつながった。お染久松のように誹謗中傷をうけて、それを苦に自殺してしまう人が多い世の中になってしまったよね、と思って。なんとかお染久松と、この問題とを重ね合わせて書けないかな、と書き始めました。

 書くにあたって、資料を一気に集めました。ある組織の、資料課に異動していた知り合いがいて――資料課に異動したことは後から知ったんですけど(笑)――その人が詳しいから、色々メールでやり取りを繰り返しました。「こんな話がありましたよね」「あ、それは新版の歌祭文ですよ」「すぐコピーを送ってください!」みたいな感じ。違う資料もいっぱい集めて、関係ない浄瑠璃まで読んでみたりして。

 読めば読むほど色んなヒントが自分の中に入ってきて、本当に書くのが忙しかったというか、書きたくて仕方がないんです。書きたいことがどんどん出てきちゃうから、交通整理が大変で。いろんな人が、「わたし!」「わたし!」「わたし!」って言ってくる感じでしたね。

「夜を昼の國」は「降りてきた」小説

 後から考えれば、「夜を昼の國」は僕の中では完全に「降りてきてたな」タイプの小説です。たまにあるんですよこれが。それがなくて苦しんだのが2作目だったんですけれどね。1作目の『ノーライフキング』にそういうことが起きちゃって。人って、いつも何かが降りてきて書いてるんだな、としか思わなかったんです。でも、全く降りてこなくて、苦しんで書いたのが、2作目『ワールズ・エンド・ガーデン』。だから、そこからは諦めてたんですね。物を書くっていうことは、やっぱり努力が必要で、勝手にお話が来ることはないんだなって。

 でもずっと後、長いスランプも経て、『想像ラジオ』ができた。「夜を昼の國」とちょっとタイプは違うけれど、ほぼ同じ状態で、毎日自分が書いている気がしない。誰かの代わりに書いていると思っていました。誰かの代わりに書いているわりに、踏み込み過ぎて良くないんじゃないかって自分で思っていた。

 Twitterにも書きましたけど、当時、柄谷行人さんが「いとうさん、『想像ラジオ』読みましたよ。あれは考えて書けるタイプのもんじゃないよ」って言ってたんです。「君は『ノーライフキング』の時もそうだったじゃないか。同じ作家が2度そういうことはないんだよ。どういう運勢してるんだ」って笑っていて。僕は「いや、そんなこと言いますけど、3度目があるかもしれませんよ?」って言ったんですよね。柄谷さんと朝日新聞の書評委員を当時一緒にやってたんで、それでよく覚えてるんです。

 今回、「夜を昼の國」が本になってから柄谷さんの言葉を思い出して、「ほーら、あったじゃない!」って思いました。「夜を昼の國」は、読んでも読んでも、「こんな順番で書いたっけ」とか「あ、こんなことを引用してるんだ!」って自分でいちいちびっくりしていて、まったく自分が書いた気がしないですね。

単行本
夢七日 夜を昼の國
いとうせいこう

定価:1,870円(税込)発売日:2020年10月29日

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