- 2020.12.04
- インタビュー・対談
いとうせいこう「自分を使って何か別なものを呼び寄せる不思議な執筆体験でした」――『夢七日 夜を昼の國』刊行記念インタビュー
聞き手:Voicy 文藝春秋channel
ジャンル :
#小説
いとうさんにとって小説を書くこととは?
——映画に出演されたり、いとうせいこう is the poetとしてダブポエトリーをされたり、小説執筆以外でも幅広く活動をされているいとうさんですが、そんないとうさんにとって「小説を書くこと」とは?
僕は、すきま産業のように色んなことに手を出しているんですけれど……「小説がこうである」っていう風にポジティブには言えないけれど、他のジャンルとは違いますよね。音楽をやっている時、セッションしている時の喜びとも全然違うし。コントとかをやってる時、ネットワークで人を笑わせていって――どっかーんってウケた時の快楽ってすさまじいんですよ、もうドラッグです。でも、小説の喜びとも違うんですよ。
基本的に小説の喜びは、書いてる時の喜びですよ。出た後はそんなに喜びはない。特に僕はそうなのかな(笑)。自分が書いた気がしないことが多いからかな。それはそれで「そういうこともあったなあ」みたいな。その子が育っていくのを勝手に見ている状態。
ジャンルの違いがあるんですよね。脳の中の快楽のふちっていうか。神経の繋がりみたいなものが、小説と全然違っていて。これは先日、確か清水ミチコさんにも聞かれたんです。「小説はエッセイ書いてるのとどこが違うのよ!」って。これは難しい質問だなと思いました。でも確実に違う。小説が書けなかった16年の間、本当に小説は書けなかったんだけど、エッセイはいくらでも書けたんですよ。『見仏記』とか、仏像を見て面白い事をばんばん大ノリで、物凄い量書いたんだけど。でも、小説は何か違う次元にある。もちろん、小説とエッセイのどっちかが偉いとかいうことではなくて。
わからないのに書いちゃった
ただ一つ言えるのは、少なくとも「わけがわからないのに書いちゃった」、後から見て「こんなこと書いてたっけ」とか思うのは、小説だけですね。
音楽にもそういう面はあるけれど、ある程度予測できるんですよね。ドラムがばんって鳴ってたら、「俺何か言うだろうな」っていうのはわかる。そうすると、やっぱり「ヘイ!」とか言っている。タイミング、リズム、どんな音程で言うかとか、声のハリとかっていうのは、なんとなくわかる。自分でやろうとしていたこと、他のメンバーがプレイするやり方っていうのは読める。
でも小説って、ちょっと違う次元にあるといいますか。自分を使って別なものを呼び寄せてくる。それが自分の人生にも影響して、体験として、書いた後が何か変わることが起こる、何か不思議な世界なんですよ。
マジックみたいな……? もちろん時間は飛んでますしね。「あっ」って思ったらもう4時間くらい消えている。そういうことはやっぱり、演奏の、時間芸術の中にいると起こらないんですよ。小説は、時間芸術じゃないから――「テキスト次元」と僕は呼んでいるけれど――あそこにいると、普通の常識では通用しないような世界がそこにはあって、常識的ではないことが平気で起こる。