例えば、誠に申し訳ありませんが連れ添って五十年の妻。
還暦過ぎた秋の日、ふと居間ですれ違った瞬間、「あれっ、なんで好きになったのだろう」と考え込みまして……いえいえ、遠い昔好きになったことは憶えているのですが……なぜ、どこを好きになったのか、ど忘れしています。そこでもう一度、判らぬこととしてノートに置いてみたのです。で、この謎に挑みました。今にして、よくよく思えば私、初めて見た女房を第一印象で誤解したのです。彼女は私の思っているような女性ではなかった。そしてよくよく尋ねれば女房も私を誤解した。それが偶然にも、間違った分量がピタリ同量でこれが奇跡を引き起こしたのです。
私たちは理解し合って夫婦になったのではなく、誤解し合って、そう、同じ分量、間違ったから結婚したのです。時々、お互いが判らなくなるのはわかり合おうとするからで、ダメダメ、判り合ってはいけません。
「老い」に比例してその関係が刺刺しくなる御夫婦がおられますが、あれはお互いの正体が歳月とともに露見したからでなく、最初に生き生きと満ちていた誤解する力が衰えたのです。お互い、判ってはいけない。
必要なのはどう誤解するか……夫婦というものをそう解いて、私、「ユリイカ」と呟いておりました。
さてさて、「分数の割り算」から「夫婦仲」までわからぬこと、わかったふりをしていたことは大学ノートに書き出して、「解」を求めて日々、取り組んでおります。
老いの峠道、途上です。ますます「問い」は増えてゆきます。「1から100までの足し算」の「和」を求めた少年に倣い、わからぬことを逆さに並べ、上下を足して「2」で割って……そんな「学び」を続けています。
何かのヒントになればと、万巻の書を渉猟し、よすがになるやも、と思った文章を抜き書き、控えて、……何やら人生の難問を解く公式か、謎を掃い、鮮やかな極意でも見付からぬかと綴り続けた十冊ばかりの大学ノートです。皆さまの何かのお役に立てばと思い、そのノートの中の出来事を文章にしてみました。なお私が学んだ本からの文章や語句の引用は〈 〉で囲んでいます。これはどこまでも私の公式、私の極意で、「老い」とともに萎えてゆく誤解する力を励ます意味で、ノートのタイトルを「誤解力養成講座」と名付けてみました。この誤解力が何かの役に立ち、あなたを「ユリイカ」と叫ばせることを願いつつ、この大学ノートを御披露しようと思います。
(「はじめに」より)
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