魅力的なオリジナルキャラクターはどこから?
――もっとも、玄宗皇帝自身は小説にはまったく登場しません。さらに文官として「書の力で世を動かしたい」という信念を貫く、つまりは「震雷の人」である青年・顔季明も安禄山の陣営の刃に斃れてしまいます。そこから物語を動かしていくのが、季明の許婚であった采春とその兄の張永ですが、ふたりとも歴史上の実在人物ではありませんよね?
千葉 張永と采春の兄妹は完全にオリジナルの創作部分ですが、主人公を兄と妹の組み合わせにすることは最初から決めていました。私には現在8歳になる息子と6歳になる娘がいるんですが、小説を書くに当たって、この子たちが10年後、今回の小説の中のふたりと近い年齢になった頃に楽しめるものが書きたいという気持ちがあって……下の娘は親もびっくりするくらい負けず嫌いで、息子は集中するとそこに入り込んでしまう性格。そういうところは家でいつも観察しているので、主人公ふたりのキャラクターに反映させやすかったのかもしれません(笑)。
ただ、今回ダブル主人公にすると決めたものの、実は女性を書くことにすごく苦手意識があって、采春のキャラクターは3回変えています。おそらく最終的にかなり気が強くなったのは、私の地の性格が少し出てしまったのかもしれません。作者としてもさすがに向う見ずにすぎて、この点は性格に問題があるところだと思っているんですが(笑)、読者の方には評判がいいと聞いて、難産だった分嬉しく思っています。
――戦乱の中でふたりを案じる母親や、季明の仇討ちを誓う采春を助ける福娘など、ほかにも印象的な女性が作中に登場します。
千葉 ふたりの母親については、結婚して幸せな家庭を築くことがいちばんの幸せと考えているような割と古風なお母さんでした。その価値観が物語の後半で変化していったのは、意識して書いたというより、彼女自身がそのような方向へ動いていったんです。私自身、子どもたちには幸せになってほしい、自分がその妨げにはならないようにしたいという思いがあって。それに、自分が子どもの頃は、親ははじめから完成された存在だと思っていたけれど、自分が母親になってみて、親も1年生からはじまる、子どもたちとともに成長していくんだという実感があって、もしかすると、そういう思いや実感が投影されたのかもしれません。
興行一座を率いる福娘というのは、かなり創作が強い人物ではありますが、これも自分が目にしている現代の日本と重ね合わせている部分がかなりあります。たとえば家庭内暴力だったり、貧困層の救済だったりに、民間で活動をされている方というのは、私の印象に残っている限りでは女性が多い気がします。皆さん自分たちも様々な苦労をされてきた中で、同じような境遇で苦しむ人を助けたいという気持ちがあって、それはおそらく唐の時代にあっても同じだったのではないでしょうか。
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