「毎月文學界の集りにその号の執筆者を招待する。(中略)御礼の出ないところを天ぷらか何かで胡麻化しているのである。御遠慮なく出て下さい」。強気と弱気がごちゃまぜになった「編集後記」が昭和一〇年五月号に出ている。
それではまずかろうということで、毎月、掲載された作品の中から同人の投票で「文學界賞」を選び、賞金百円を原稿料の代わりとした。第一回は小林秀雄の連載「ドストエフスキイの生活」で、小林は賞金でスキー旅行に出かけた。小林は、橋善での執筆者招待会でも、「現代人はスキーをやらなければすべてを忘れることはできない」と、一生懸命、川端にスキーをやるようにすすめた(中村『今はむかし』)。
匿名の賞金提供者は岡本かの子だったと、彼女の死後、追悼の中で川端が明かし、「同人会にかの子さんの家を借りたこともあった」と謝意を示した(昭和一四年四月号)。その同じ号の後記で、小林は「岡本さんに会うのは、実に苦が手であった。あの長話しが僕には閉口なのであった」と書いている。岡本も「鶴は病みき」で「文學界賞」を受賞している。
雑誌の発行元は、もと文藝春秋の田中直樹が経営する文化公論社で、創刊号の締切になっても同人の原稿が集まらないので、田中はハンストをして抗議した。創刊号の部数は一万部。昭和九年二月号まで、五号出したところで経営難により休刊する。
昭和九年六月号から、「文學界」は野々上慶一の文圃堂へと移った。復刊して移ってすぐの部数は四千部である。
昭和一一年一月号の同人座談会で、「文學界が五年或は十年続いたら、日本のn・r・fが出来あがると思う」と林房雄が期待をこめて発言している。
「n・r・f」=「La Nouvelle Revue Française」は、アンドレ・ジッドらが一九〇九年に創刊したフランスの文芸誌である。もともと同人誌で、のちにガリマール社から出るようになったこの雑誌が、同人たちの念頭にはあった。
文圃堂は文學界社と名前を変えるがすぐに資金難に陥り、小林秀雄の妹の夫で「のらくろ」の漫画家田河水泡に資金援助をあおぐなどしたが、ここも長くは続かなかった。
この続きは、「文學界」2月号に全文掲載されています。
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