『藝人春秋2』にも芸能界の暗部で暗躍する一人の「スペクター」が登場する。しかし、彼がその姿を現すたびに僕はあの映画を観ていた時に感じたあの感情を思い出すのだ。僕はエネルギーの話をしてきた。博士の著作、『藝人春秋』それ自体の膨大なエネルギーとは別に、博士が暴こうとしている芸能界という磁場のエネルギー。その正体、実にスペクター的? いや、結論はまだ見えない。
ここでひとまず水道橋博士がエネルギーを生み出す構造に着目して考えを進めたい。アントニオ猪木の成田空港でのインタビューを聞くような構えで付き合って欲しい。
世界は流れである。
これが僕の考え方で、世の中の全ては流れていて留まることはない。僕自身、脳梗塞という病気になり、片目を失明し、医師からは手を打たなければあと5年の命ですよ! と告げられたが、それでも病気になる以前に戻ろうとは思わない。これは流れであり、その流れに身を委ねることこそが生きていることだと思っている。常に流れていく存在。だが同時に僕は社会的存在でもある。現代社会で日常を営んでいる。そんな自分の在り方をよく考える。
万物が流れるままの世界に放り込まれた人類はそこに社会を作っていく。狩猟採集をしていた頃の人類はそれでも流れに身を任せた生活をしていたが、定住するようになるとそこに法が生まれる。農耕と貯蓄から財産が生まれ、それを保持するための法と秩序が誕生し、人類は社会を生きるようになっていく。それまでは歌で相互にコミュニケーションしていたが歌が分節されて言葉になり、言葉には一定の意味が付与されていく。法は言葉によって記述される。狩猟採集から定住へ、歌から言葉へ。これは流れから固定へ、と人類の生き方が変わったことを意味している。もちろん、それでも時は流れ、日々の天候は変わっていく。そうした世界の流れの中で「固定」出来るものをかき集めて社会として構築してきたのが僕の持つ人類史のイメージだ。
「炎」という言葉を考えてみよう。目の前で燃える炎はひと時として同じ形ではなく、常に変わりながらエネルギーを消費していずれは消えていく。流れている。だが、それを「炎」という言葉で固定することが出来る。目の前を“流れる”川の水もまた同様で、ひと時として同じではないが、それは同時に「水」という言葉で固定できる。これが言葉の効能だ。
世界は流れであるからには世の事象、出来事や情報もまた流れている。その量は膨大であり、圧倒的だ。全体を把握することは人には出来ないから、その都度言葉を使って流れの一部分を捉えては固定化して理解していく。僕らは言語を獲得してからはそういう形でしか世界を理解出来なくなってしまったし、そうすることで常に世界に触れることが出来ている。
いきなり難しい話になってしまったと読者は思うかもしれない。だが、水道橋博士が『藝人春秋』という試みでやっていることがまさに流れを捉え、言葉で固定化することだと僕は思っている。博士は星座という概念を用いるが、これも膨大に広がる宇宙の中で幾つかの星を固定することでそこに意味を見出していく考え方だと思う。社会学者・宮台真司の講義を受けた時に哲学者ヴァルター・ベンヤミンの「砕け散った瓦礫(がれき)の中に一瞬の星座を見る」という言い方を紹介された。これは〈世界〉は確かにそうなっている、と一瞬は思われたが言葉にしようとした途端にするりと変わってしまう、というアレゴリーの説明なのだが、ここで用いられた星座という言葉を聞いた時に僕の頭には水道橋博士の営みが降ってきたのだ。〈世界〉はこうなっているのでは? と執拗に言葉で捕獲を試みる。常に流れているものを言葉で捉え続ける営み。これを原稿用紙に記録したものが水道橋博士の文章だと思う。『藝人春秋2』における〈世界〉とは芸能界を意味するのだが、その中で無秩序に流れ、広がっていく様々な事象を言葉で捉え、そこに一定のリズムを生み出し、意味を浮かび上がらせる。博士の文章が意図的だとわかるのは過度に「韻を踏んでいる」からだ。
「韻を踏む」とは一定の間隔で出てくる言葉の母音を揃えることで文章/言葉にリズムを与えることを指す。同じ音が鳴ることでリズムが生じ、そのリズムに導かれるように様々な意味やイメージが降り注いでくるのだ。僕はラッパーなので自分で作詞、或いは即興演奏をする際にはいかに韻を踏むか? に注力している。ラップとは言葉をリズミカルに演奏するヴォーカルテクニックだと僕は定義していて、その際にリズムを生む機能を韻が果たしている。博士は文章の中でラップと同じ構造で言葉を使っている。その意味で『藝人春秋2』を読む際には是非、水道橋博士の声を脳内で再生しながら読んで欲しいと思う。様々な音楽ジャンルの中で特にリズムに着目しているのがファンクミュージックだ。ファンクはヒップホップの親とも言える存在だが、その代表的なアーティストであるジョージ・クリントンは自身の率いるグループ、ファンカデリックの音楽性を評して「カオスをグルーヴさせる」と言っている。水道橋博士もまた、芸能界というカオスをグルーヴさせる文章を著していると僕は思っている。
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