- 2021.03.16
- 書評
犯罪エンタメの帝王、会心の一作! ~ジェフリー・ディーヴァー、再入門~
文:阿津川 辰海 (小説家)
『オクトーバー・リスト』(ジェフリー・ディーヴァー)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
一つだけ例を挙げよう。本書第33章で、スラニとケプラーの両刑事が「清掃局の運転手」から連絡を受ける。そして、何かの事態が発生したことを窺(うかが)わせる一文で章が切れる。普通のエンタメなら、次に来る34章か、少し別の話を挟んだ後の35章で「清掃局の運転手」が登場したり証言をするところだが、そうはならない。なぜなら、この小説は時間軸を遡っていくからだ。つまり、この「切れ場」では、「清掃局の運転手の謎はどう解けるのか?」というメタレベルの引きまで用意されていることになる。読者はこれから読む章で、「清掃局」に関する何かが現れたら注意せねばならないことを、ディーヴァーの「切れ場」というシグナルによって知らされることになる。
つまり、この困難な構成は、元々ディーヴァーが持っていた「切れ場」の魅力を最大限に引き出す舞台装置にもなっていると言えよう。
そして、「切れ場」の演出とは、作中世界の時間軸を、自在に配置し、切り出し、操る力に他ならない。その意味で、これは「時」を操る力とも換言出来る。
だとすれば、「逆向きに語られる長編小説」という構成にディーヴァーが辿(たど)り着いたことも、あながち不思議ではないだろう。「逆行する」というアイデアの中でも、本書が独自の位置を占めることは、“既に”見た通りだ。「切れ場」のテクニックは本書のアイデアを成立させるかすがいとして見事に機能している。
2
逆行する小説のあらすじというのは、実に書きにくいものだ。冒頭に置かれた36章で分かるのは、ガブリエラという女性が娘を誘拐され、まさにその取引要求のタイムリミットが迫っていること、その取引には、「オクトーバー・リスト」なるものが関わっているらしいこと、これくらいである。これだけでも十分にサスペンスフルだが、この後――時系列的には前に――CP作戦と呼ばれる作戦に従事しているらしい刑事たちや、主人公ガブリエラの相手役、ダニエルとの逃避行なども満載されている。
この作品全体が、「ホワットダニット」、つまり、「何が起こったのか」を解き明かすミステリーであると言えよう。誘拐事件はどのような顛末を辿ってきたのか。「オクトーバー・リスト」とは何なのか。刑事たちや他の人物はどのように絡んでくるのか。
実を言えば、「逆行する」というアイデア自体はミステリー史上珍しいものではない。映画ではクリストファー・ノーラン監督の『メメント』や二〇二〇年公開の『TENET』があるし、小説に限っても古くは一九三〇年にフィリップ・マクドナルドの『ライノクス殺人事件』がある。エピローグ、第一章、第二章、第三章、プロローグという章立てで描かれる事件で(つまり途中の部分は順行)、似た構成にはチャック・パラニュークの『サバイバー』、セバスチャン・フィツェックの『アイ・コレクター』(これらはページ番号まで逆になっている)などがあるし、数か月~年単位の幅の遡りなら、桜庭一樹『私の男』や、サラ・ウォーターズ『夜愁』などが思いつくところだ。もちろん、ディーヴァー自身が「著者まえがき」に名前を挙げている『現金(げんなま)に体を張れ』『パルプ・フィクション』などの映画もある。
ところが、本書のように三十分、一時間の細かい刻みで遡って見せ、順行部分が一切ない純粋な「遡り」というのは、ちょっと見たことがない。ここまでいくと、もはやストイックとしか言いようがない。
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