小泉純一郎から安室奈美恵まで――平成育ちの歴史学者が描く、団塊からZ世代まで必読の日本の全貌
- 2021.08.04
- ためし読み
しかし正解は、右記のどれでもない。西部邁(経済思想)が1979年、平成半ばに終刊することになる雑誌『諸君!』の4月号に寄せた、「反進歩への旅」という紀行文の一節です。※3
これはけっして、先に名前を挙げた識者たちが怠惰だということではありません。むしろ私たちが生きる社会が直面する課題が、ここ半世紀ほどまったく変わっておらず――そしてなにより――そうした潜在する不変の構造を明るみに出し、私たちが常にそれに挑んできたという“同時代史”を描く営みが衰弱しているからこそ、過去の積み重ねが歴史として蓄積されない。
結果としてあたかもループもののアニメのように、一定期間ごとに「同じような思想・運動」のブームが反復され、※4しかしまさに先行する経験を忘却しているがゆえに、挫折しては知性への信頼を損なってゆく。
過去からの呼び声
そうした状況は、実は平成期の日本に固有のものではありません。世界中で――いや、時期的に重なりあうポスト冷戦期の国際社会でこそ、より顕著であったかもしれません。
実際に、「たかだか人間が全体像なんて、もう見渡さなくていい」といった議論は、いまやむしろ海外から、大きな声で聞こえてきます。
インスタにアップする写真や、ツイートで使う語彙の膨大な蓄積をAI(人工知能)が解析して、ユーザーのひとりひとりに最適なターゲティングを代行してくれるようになる。そうしてメカニックに設定される、「あなたにとって最適な視野」の内側で暮らせば快適なんだから、それはそれで別にいいんじゃないか。IT業界の企業家はむろんのこと、歴史学者でもそう書く人が実際にいて、国を問わず広く読まれたりもしています。※5
しかし、それはほんとうに心地よい世界でしょうか。あるいは、そもそも新しい発想でしょうか。
たとえば情報技術がもたらす負の側面をより意識した、ある今日のデジタルアーティストの著作には、現代社会の隠喩としてこんな言葉が引かれています。
思うに、神が我々に与えた最大の恩寵は、世界の中身すべての関連に思いあたる能力を我々人類の心から“取り除いた”ことであろう。……だが、いつの日か、方面を異(こと)にしたこれらの知識が総合されて、真実の恐ろしい様相が明瞭になるときがくる。そのときこそ、我々人類は自己の置かれた戦慄すべき位置を知り、狂気に陥(おちい)るのでなければ、死を秘めた光の世界から新しく始まる暗黒の時代(ニュー・ダーク・エイジ)へ逃避し、かりそめの平安を希(ねが)うことにならざるをえないはずだ。※6(括弧内と二重引用符は與那覇)
※3 西部邁『蜃気楼の中へ』中公文庫(改版)、2015年(原著1979年)、250頁(初出媒体により表記のみ修正)。サッチャー政権直前の英国滞在を踏まえたこの文章は、最初期の「新自由主義批判」でもある。
※4 具体例とその分析は、斎藤環・與那覇潤『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』(新潮選書、2020年)の7・8章を参照されたい。
※5 ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来 下』柴田裕之訳、河出書房新社、2018年(原著15年)、9・11章。
※6 ジェームズ・ブライドル『ニュー・ダーク・エイジ テクノロジーと未来についての10の考察』久保田晃弘監訳、NTT出版、2018年(原著同年)、15頁(重引)。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。