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【特別公開】その日はなぜ必然となったのか? 7か月にわたる日米交渉の果てに訪れた開戦の姿

【特別公開】その日はなぜ必然となったのか? 7か月にわたる日米交渉の果てに訪れた開戦の姿

文:半藤 一利

『[真珠湾]の日』(半藤 一利)


ジャンル : #ノンフィクション ,#政治・経済・ビジネス

 けれども、ヨーロッパの戦争の電撃作戦によって、もしもドイツがイギリス本土上陸に成功し、これを屈服させえたら、一挙にこのディレンマは解消されるかもしれないではないか。アメリカは孤立して戦う意欲を失ってしまうであろう。

 いまや、米英それに中国、オランダの強力きわまりない包囲網(ABCD包囲網)の下に、日本帝国は八方塞がりになっている。屈従を強いられている。民族が生きのびる道は、「死中に活を求める」以外にはないのである。そのためには、対米戦の決意をも明定し、それに備えてタイ・仏印に早急に武力進出する。国際情勢がどう変ろうとも、いまのうちに日本は南方をおさえ不敗の態勢だけはととのえておくべきであり、結果として全面戦争の冒険をおかすこともやむをえない。

 昭和十五年の終りごろの日本人は、多くがそう考えはじめるようになっていたのである。

 月刊誌『文藝春秋』十六年一月号は「国民はこう思う」と題したアンケートの結果を発表している。回答カードは六百八十五枚、十二月五日をもって締切った。いくつかの項目のなかに〈日米戦は避けられると思うか〉という興味深い質問がある。その回答はこうである。

〔避けられる〕四一二
〔避けられぬ〕二六二
〔不明〕    一一

 一見して明らかなように、十五年末には三分の一強の日本人が、もはや戦争は避けられないと考えていた。

●「開戦劈頭、主力艦隊を猛攻撃破」

『文藝春秋』が発売されたちょうど同じころ――。

 山本長官は、伝統の対米戦術思想となっている“邀撃(ようげき)漸減作戦”計画を断乎としてしりぞけ、全力集中の真珠湾攻撃作戦を着想した。それはほぼ十五年十一月下旬、というのが定説になっている。

 山本の決意形成に直接影響したであろう要素が二点ある。一つは十五年五月、米太平洋艦隊主力の真珠湾常駐をアメリカ政府が公表したことである。他の一つは、十一月十三日、イギリス海軍艦載機がイタリアのタラント軍港を奇襲し、六隻の在泊戦艦のうち三隻を大破したという戦績である。

 山本は十二月下旬に海軍大臣及川古志郎(おいかわこしろう)と会談し、どうしてもアメリカと戦わざるをえないというのであれば、と前提して、ハワイ作戦のことをはじめて口にしている。そして年が明けた十六年一月七日付の海相あての書簡「戦備ニ関スル意見」で、公式の文書として認(したた)めている。つまり口頭で申し述べた意見を記録し、後世への証拠として自分の真意を山本は残したのである。

「作戦方針に関する従来の研究……堂々たる邀撃大主作戦」は、これまでにしばしば実施された。しかし、その図上演習などの結果をみても、「帝国海軍は未だ一回の大勝を得たることなく、此のまま推移すれば、恐らくじり貧に陥るにあらずや、と懸念せらるる情勢に於て、演習中止となるを恒例とせり」(原文片カナ、旧カナ旧漢字)

 と山本は、明治四十年いらいの、太平洋上で来航するアメリカ艦隊を迎え撃って、大艦巨砲の艦隊決戦でケリをつける、という伝統の戦術が必敗であることを指摘した上で、

「日米戦争に於て我の第一に遂行せざる可からざる要項は、開戦劈頭(へきとう)、主力艦隊を猛撃攻撃破して、米国海軍及米国民をして救う可からざる程度に、その士気を沮喪(そそう)せしむること是(これ)なり」

 と、ハワイ作戦の実行を主張して、この“のるかそるか”の戦法のほかに必敗をとめる手だてはない、と明言した。

真珠湾攻撃

 しかし、海軍戦略戦術の総本山の軍令部は、この時点ではビクともしない。確乎不動のままである。かれらは伝統の大艦巨砲による決戦思想を頑として護持した。すなわち、かならずや太平洋上でおもむろに敵戦力を減らし、「敵の労を撃つ」邀撃作戦による艦隊決戦は実現する。そして大勝を得る。対米比率七割海軍の勝つ方略はほかにあるべくもない、と日露戦争における日本海海戦の再現を夢みるのである。

 年が明けて昭和十六年の春から夏にかけて、軍令部は大艦巨砲での決戦における必勝の信念を、いよいよ強く固めていく。そして、兵力の対米比率が七割を超えるこの年の秋から暮れにこそ、断乎として立上ればわれに勝機ありと結論づけた。対米戦争が“宿命的”であるなら、この時機を逸し荏苒(じんぜん)時を失えば、生産力の違いから、兵力比に大きな差ができて戦うチャンスが失われてしまうのである。東京の海軍中央は対米強硬論で次第に勇み立っていった。

 遠く瀬戸内の根拠地にある山本は、必敗の戦争を戦うことに猛反対である。その反対の戦争をどうしてもやれといわれるなら、俺の戦法でやる、と突っぱねつづけた。そして四月十日には、おれの流儀の作戦の主力となるであろう空母機動部隊(第一航空艦隊)を新編成する。対米開戦か否かという危機を前にして、軍令部と連合艦隊との間に、戦術をめぐっての論争がはげしくなるのである。

文春文庫
[真珠湾]の日
半藤一利

定価:781円(税込)発売日:2003年12月05日

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