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76年前のあの日を体感できる「日本のいちばん長い日タイムライン」まとめ(2)――半藤一利『日本のいちばん長い日』

76年前のあの日を体感できる「日本のいちばん長い日タイムライン」まとめ(2)――半藤一利『日本のいちばん長い日』

#日本のいちばん長い日タイムライン 8月11日から8月14日午前中まで


ジャンル : #歴史・時代小説 ,#ノンフィクション

 終戦に至るまでの中枢部の動きを、証言と取材をもとに描いた『日本のいちばん長い日』。その息詰まるシーンを、同日同時刻に #日本のいちばん長い日タイムライン としてツイートします。

 この記事では、8月11日から8月14日午前中までの #日本のいちばん長い日タイムライン をまとめました。

 76年前の暑い夏、真夜中に、明け方に、命を懸けて行動した日本人をぜひ体感して下さい!

これまでのまとめ

1945年8月11日

午前

 ワシントンが連合諸国の返事をすべてそろえたときには、八月十一日になっていた。

 こうした事情を知らない日本にとって、八月十一日は、九日から十五日までの激震の一週間のなかで、中休みに似た空白の一日になった。


1945年8月12日

午前0時30分

 午前零時半すぎ、迫水書記官長は同盟通信外信部長から、サンフランシスコ放送が回答を流しはじめたことを知らされた。

迫水久常

「まだ全文がわからないが、どうもあまりいい返事ではなさそうだ」

 迫水は暗澹たる想いに捉われた。

午前8時

 午前八時すぎには早くも梅津参謀総長と豊田軍令部総長とが参内、軍は回答文に絶対に反対である旨を奏上した。(略)

「国体の根基たる天皇の尊厳を冒瀆しあるは明らかでありまして、わが国体の破滅、皇国の滅亡を招来するものです」

 陸相の義弟竹下正彦中佐が一同を代表して阿南陸相につめよった。「ポツダム宣言の受諾を阻止すべきです。もし阻止できなければ、大臣は切腹すべきです」。阿南陸相は唇をかたく結んだまま、何もいわなかった。

午前10時30分

 外相が鈴木首相に会い、首相の意見も受諾案であることを確認し、参内したのは午前十時半をやや回っている。軍に遅れること二時間である。しかし、天皇の意志はもう一つに固まっていた。

「議論するとなれば際限はない。それが気に入らないからとて戦争を継続することはもうできないではないか。自分はこれで満足であるから、すぐ所要の外交手続きをとるがよい。なお、鈴木総理にも自分の意志をよく伝えてくれ」

東郷茂徳
昭和天皇


1945年8月13日

午前

 十三日の朝が明けた。早くも警戒警報のサイレンが東京の空をかき乱した。

 そのなかで、この朝の阿南陸相はなお、虎のように屈しなかった。天皇に謁見を願い、(略)天皇その人に天皇の地位存続にたいする心配を訴えたのである。

阿南惟幾

 だが、天皇ははっきりといった。

「阿南よ、もうよい」

 なぜか天皇は、侍従武官時代から阿南をアナンと呼ぶのを常としていた。

「心配してくれるのは嬉しいが、もう心配しなくともよい。私には確証がある」

午前9時

 最高戦争指導会議は、再三再四にわたって紛糾した。このまま回答をのんで降伏し和平するか、かなわぬまでも死中に活を求めて一戦し条件を少しでも有利にして和するか。(略)六人の男たちは最後の闘志を燃やして論じ合った。

午後3時

 午後三時、閣議がひらかれた。朝から延々たる会議につぐ会議。老首相はまったく疲労の色をみせぬ。予想されたように甲論乙駁ははてしなくつづいた。

午後6時半

 首相は立上るといつになく力強い声で、自分の意見をのべはじめた。(略)

鈴木貫太郎

「畏れ多いが、大御心はこのさい和平停戦せよとのご諚であります。もしこのまま戦えば、背水の陣を張っても、原子爆弾のできた今日、あまりに手遅れであるし、それでは国体護持は絶対にできませぬ(略)」

「われわれ万民のために、赤子(せきし)をいたわる広大な思召しを拝察いたさなければなりませぬ。(略)かかる危険をもご承知にて聖断を下されたからは、われらはその下にご奉公するほかなしと信ずるのであります」

 この長い発言には八月六日いらい、首相として鈴木貫太郎が考えに考えてきたすべてのことがある。政治性ゼロの宰相の真情だけがあった。

 陸相官邸に帰った阿南陸相を待っていたのは、さきほどいちど見せられた兵力動員計画であった。それはまさにクーデター計画なのである。


1945年8月14日

午前0時

 真夜中の十二時、阿南陸相は市ケ谷台の陸軍省に登庁した。(略)しかし、このとき陸相は信頼する荒尾大佐に、

「クーデターに訴えては、国民の協力はえられない。本土決戦など至難のこととなろう」  

 と、その真情をぽつんともらした。

午前5時

 陸軍にクーデター計画ありの情報をえた迫水書記官長は、あたふたと私邸の門をくぐって(略)、「情勢は緊迫以上です。予定どおりに閣議を十時にひらき、もうこれ以上議論を重ねてみても、埒があきません。総理、もはや決断あるのみです」

「天皇のお召しによる御前会議という方法がありました。これが最後の、とっておきの術(て)です」

 そして、たか夫人に「すぐ参内するから」と首相はいってすっくと立った。

午前8時40分

 昭和十六年十二月一日の開戦決定の御前会議いらい、たえて行なわれなかった最高戦争指導会議の構成員と閣僚全員の合同の御前会議がひらかれることとなった。しかも、正式の御前会議ではなく、天皇のお召しによる、という……。

 合同を策案したのも首相であった。

「もうここまできたら一挙に終戦へと決しましょう」

「そう」と木戸が和した。「私とあなたと、ほかに二、三名が生命を捨てればすむことですからね」

木戸幸一

午前10時50分

 十時五十分、御前会議はひらかれた。天皇を前にして、出席者は横に二列にならんでいた。あくまで天皇のお召しという形式に合わせていた。

 鈴木首相は、天皇に十三日の最高戦争指導会議の模様を詳細に申しのべ、意見はついに不一致に終ったので、この上は、反対意見を聴取のうえ、御聖断をくださるように、とお願いした。


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定価:770円(税込)発売日:2006年07月07日

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