- 2021.08.16
- 特集
76年前のあの日を体感できる「日本のいちばん長い日タイムライン」まとめ(3)――半藤一利『日本のいちばん長い日』
#日本のいちばん長い日タイムライン 8月14日午後から8月15日正午まで
終戦に至るまでの中枢部の動きを、証言と取材をもとに描いた『日本のいちばん長い日』。その息詰まるシーンを、同日同時刻に #日本のいちばん長い日タイムライン としてツイートします。
この記事では、8月14日午後から8月15日正午までの#日本のいちばん長い日タイムラインをまとめました。
76年前の暑い夏、真夜中に、明け方に、命を懸けて行動した日本人をぜひ体感して下さい!
これまでのまとめはこちら
・日本のいちばん長い日タイムライン 8月11日から8月14日午前中まで
1945年8月14日
午後7時
七時もやがて過ぎてゆこうとするのになんらの連絡もない。さすがに待ちくたびれて、録音関係者はじりじりとしはじめ、広い控室の柱時計の振り子の単調な運動をじっと見つめていた。どうかしたのだろうか「放送を一日延期してほしい」というのが陸相の主張だった。東郷・米内は連合国への通告の手前もあり一刻も猶予できないと説いた。いずれにせよ「時間」を論じながら時間に追いたてられ、適当な時間をみつけて妥協せねばならないのである。
二人の参謀は平然として、「今日、陛下の録音があるということですが、それはいつなのでしょうか?」とたずねた。近衛師団参謀としての兵力運用の都合上知っておきたいともつけ加えた。武官長も両武官も返事をしなかった。
午後8時
書き込みあり、貼り紙のしてある異例中の異例の詔書をみせられたとき、鈴木首相は茫洋とした老顔をくしゃくしゃとさせた。おかしくて笑ったのか、悲しくて泣いたのか、(略)終戦の詔書は完成した。
詔書をいただいて退出する鈴木首相に、ふと木戸内府は夕刻近衛公より内密だといって聞かされた情報をたしかめてみようという気になった。不穏な形勢があり、いつ暴動がおこるかわからない、万が一ということもある、というそれだけの理由で、鈴木首相に尋ねてみる気になったのである。鈴木首相はあっさりこれを否定した。
「私は知りません。誰からも、なにも聞いておりませんな(略)。近衛師団にかぎって、そんな馬鹿な…」
午後9時
陸相は、軍の名誉も希望も灰燼に帰したいま、牢獄にもひとしい広い部屋のなかで、静かに座して軍事課長のくるのを待っていた。五十八年を通して、きたえにきたえてきた、傑出した人格がそこにあった。
「荒尾、若い立派な軍人をなんとか生きのこるようにしてもらいたい。警察官とかに転身できるように便宜をとってもらうことだ」と阿南陸相はいった。いろいろいいたいことのうちから一つを選んでいったような感じであった。
いつ芳賀連隊長が彼らの陰謀に気づくかしれなかった。そしてかんじんの近衛師団長中将が最高に難物であった。まだかなり疑心暗鬼の気持をのこしている藤井大尉がそのことを口にだしたとき、畑中少佐がはっきりといった。
「そのときには斬る」
午後10時
静かな夜はこうして刻一刻とたっていった。(略)これからポツダム宣言受諾の重大電報をうつ外務省をのぞいては、騒がしかった各省もほとんど人影もなくなり、黒一色のなかで森閑とし眠りに入ろうとしていた。
十時半をわずかにすぎたとき、陸軍省の一室でずっと寝泊りしていた井田中佐は、その部屋で、寝入りばなを椎崎中佐と畑中少佐に起されて不愉快な表情をした。明日は死ぬ身、今夜ぐらいはゆっくり眠りたい。
「畑中、承知したよ。やれるだけやってみよう」 と井田中佐は、それが自分の運命であろうというあきらめたような口調でいった。暴徒となるのが目的でない。(略)失敗の場合はただちに自分が責任をもって計画を放棄させよう。
午後11時
首相は長い眉を動かして、わが子をみるように陸相の緊張した顔をじっとみてから、その肩に手をやった。
「そのことはよくわかっております。私こそ、あなたの率直なご意見を心から感謝し拝聴しました。みな国を思う情熱からでたものなのですよ」
天皇をはじめ誰もが決死の覚悟であった。そして今日までやっと登りつめたのである。(略)やがて天皇が三井安彌、戸田両侍従をしたがえて入室した。その軍服姿を眼にしたとき、隣室のすみに立っていた川本秘書官は思わず身体をふるわせ――人いきれと鎧戸をとざした熱気で部屋はむれかえるようである。しかし、人びとは暑さも忘れ去ってしまうくらい緊張しきっていた。
天皇がきいた。
「声はどの程度でよろしいのか」
1945年8月15日
零時
最前線の指揮官は、戦争が午後十一時をもってすでに終ったことなど知るはずもなかった(略)町民もまた、祖国が降伏したことを知るべくもない。ただかならず「神風」が吹くものと信じているのである。
宮内省内廷庁舎の御政務室では、いま終ったばかりの天皇録音をその場で再生し、関係者が集って試聴していた。(略)
録音盤は二組(一組二枚)で、録音担当者によって二個の缶にそれぞれおさめられた。
徳川侍従は、すぐふたつの袋を陛下の皇后宮職事務官室に運び、整理戸棚の横にある書類入れの軽金庫に納めた。(略)鍵をかけ、書類をその前にうずたかく積んで人眼から隠すという細心さだけは忘れていなかった。
「美しかるべき日本の精神をとり戻すためにわれわれは蹶起します。近衛師団がいまこそ中心となるべきなのです。閣下のご決意をお願いします」
井田中佐はいうべきをいいつくして、師団長を凝視して返事を待った。
午前1時
井田中佐は師団長室に一発の銃声が轟然と鳴るのを耳にした。床をふむ靴音の乱れ、うなるような悲鳴。(略)なかから畑中少佐が蒼白な顔をして歩みでてきた。
「時間がなくなったのです。……それでとうとうやった……仕方がなかった」
「近衛師団は蹶起しました。東部軍もぜひ立上っていただきたい。東部軍司令官が直接号令をかけて下さい。お願いします……お願いします……近衛師団は蹶起したのです。東部軍もお願いします」。
着剣した兵隊が真ッ暗闇のなかからあらわれて、下村総裁の車に停車を命じた。(略)兵士が近づいて車のドアをあけ、なかをのぞき込むようにして、情報局総裁ですかときいた。(略)
「そうです」
とたんに、ドアは強くしめられた。
午前2時
全陸軍が全国的に叛乱のため立上ったという報道が、各新聞社の幹部らのもとにとどけられたのは、首相官邸詰記者から終戦の詔書の原稿が送られてきたのと、相前後していた。(略)幹部新聞人たちは額をよせて苦悩の会議をつづけた。
「おや、もう二時を廻ったのだね」と陸相は時計をみた。
「暦の上では十五日になっているが、自決は十四日のつもりでするよ。(略)だから…」
といって、ふところから陸軍省の自分の机の上で書いた辞表をとり出し、
「辞表の日付も十四日にしておいて貰いたい」
「君は若いのだから、これからのこともある。すぐ逃げるといい」いわれて秘書官は、はいそうですか、と逃げるわけにはいかなかった。恐怖がはげしく襲ってきた。やがて大臣がポツリとひとり言のようにいった。
「二・二六のときと同じだね」
午前3時
眠っていた清家武夫侍従武官はゆり動かされ、「大変です。兵隊が侵入してきました」というひそやかな声にはね起きた。「本当ですね」と落着いて聞いた。眼鏡の侍従は唇を震わせながらうなずいた。陛下のお側にいかねばならない、この事態を連絡し、お護りしなければならない(略)
いくらか恐怖がおさまると、侍従はまた真ッ暗な廊下をうろうろとし、なんとか吹上の御文庫へいく方法はないものか、宮城内では録音盤捜索の騒動がつづけられ、休みない不安が宮内省全体を支配していた。しかし、事実上、捜索は次第にゆきづまりになりつつあった。叛乱軍兵士たちは、まるで濃霧のなかで道を見失ったように、右往左往しはじめた。
兵隊が「録音盤をわたしたのはこいつではないか」といった。矢部局長は平然と答えた。「いや、もっと背の大きい、鼻の大きい人だったと思います」
実は戸田侍従より大きい侍従はいなかったが、兵隊はそれを信ぜざるをえなかった。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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