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76年前のあの日を体感できる「日本のいちばん長い日タイムライン」まとめ(3)――半藤一利『日本のいちばん長い日』

76年前のあの日を体感できる「日本のいちばん長い日タイムライン」まとめ(3)――半藤一利『日本のいちばん長い日』

#日本のいちばん長い日タイムライン 8月14日午後から8月15日正午まで


ジャンル : #歴史・時代小説 ,#ノンフィクション

1945年8月15日

午前4時

 横浜警備隊長佐々木大尉のひきいる兵ならびに学生四十名が、乗用車一、トラック一に分乗して、第二国道から東京に入ろうとしていた。(略)彼らはみずからを「国民神風隊」と名づけ、無条件降伏をさけるための閣僚抹殺を企図、首相官邸にむかっているのである

 阿南陸相はなさねばならないこと、すなわち永遠の眠りにつこうとする準備をはじめた。「さあ、そろそろ仕度にかかろうか」といって盃をおいた。陸相は上半身裸形となって立上る。腹には純白のさらしが幾重にもまかれてあった。

阿南惟幾

「陛下のご放送のある前に、十分間だけわれわれに放送させて下さい。われわれがこの挙におよんだ気持を、せめて一般国民に聞いてもらってから、こんごの行動をきめたいのです。この十分間、十分間だけでいいのです」

 少佐は泣かんばかりであった。

 女子技術員保木玲子が異変に気づいたのは厳密にいえば四時ごろである。放送会館前の大通りに数十人の軍靴の音を聞いたとき、天皇放送による終戦を知っていた保木技術員は、早くもアメリカ軍が進駐してきたのかと思った。

午前5時

 宮城から追放された畑中少佐は少尉と兵二人をつれて、放送会館の第十二スタジオで、放送員館野守男に拳銃を向けていた「(中略)自分に放送をさせてくれ」と苦痛にゆがんだ表情でいった。

放送会館

 館野放送員は、放送させてはいけないと覚悟をきめていた。

「まだ現在警戒警報は発令中なのです。警報の発令中に放送するには東部軍管区に連絡することが必要なのです。(後略)」

 館野放送員はこういって断るのにかなりの勇気がいった。

「いよいよ御文庫に兵隊が入ってくる」と戸田侍従は暗い表情をした。広幡忠隆皇后大夫、入江侍従、永積侍従らは寝足りない表情をよせ集めた。陛下のおられる御文庫に兵が突入してくる、想像を絶するような不祥事がはじまろうとしている。

戸田康英

午前6時

「陛下をお起こしせねば……」と戸田侍従がいった。(中略)天皇はすぐ目ざめて姿をみせた。三井侍従がうやうやしく頭をさげて、宮城が占領されたことを報告した。

 天皇は、とつぜん、「クーデターか?」といった。

 天皇はしばらく考えに沈んでいるようであったが、やがて「私がでていこう」といった。「兵を庭に集めるがよい。私がでていってじかに兵を諭そう。兵に私の心をいってきかせよう」

 二人の侍従は泣きたいくらいに鮮烈な感動をおぼえた。 

 報道部長室での静かな睨みあいはしばらくつづいていた。畑中少佐はあるときは意気消沈し、あるときは威丈高になり、そして精神的に完全に参っていた。そのときに畑中少佐に東部軍参謀より電話がかかってきた。やがて「では、やむをえません」と少佐は受話器をおいた。しばらくはその姿勢で虚空を眺めていたが、ふらふらとうしろへ倒れかかった。(中略)

「やるべきことはすべてやった。これまでだ」 

午前7時

 蓮沼武官長は御文庫に参上、天皇に拝謁した。武官長は昨夜の模様を報告、田中軍司令官の適切な処置で事件は終息されたこと、森師団長が殉職したことなどを言上した。天皇は、森師団長の死に暗然とした。

蓮沼武
森 赳

  国民をおどろかすような"予告”が、電波に乗って全国に流れていた。(中略)館野放送員は静かに予告放送の全文を読みあげた。それが終戦を意味するのだということを館野放送員は知っているだけに、口調はおのずと荘重になった。

午前8時

 近衛歩兵第二連隊の将兵は堂々と宮城をでていった。(中略)下級兵士たちはなにも知らなかった。自分たちが、この数時間のあいだ、反乱軍の一員として行動していたこと、クーデターに参画していたことを、知る由もなかった。 

 あやうく私邸をのがれでた鈴木首相の一行は、そのころ避難先の鈴木孝雄大将の私邸で朝食をとりおえたところであった。

鈴木孝雄

「これからは老人のでる幕ではないな。二度までも聖断を仰ぎ、まことに申訳ない。新帝国は若い人たちが中心になってやるべきだね……」

 憔悴しきった老首相の顔にもかすかに安堵の影が漂っている。 

午前9時

 塚本憲兵中佐がこの時間に部下からうけていた報告は、彼を悲しみに突き落としていた。それは二人の将校が、(中略)徹底抗戦の檄文を刷り込んだビラを撒布しているというのである。 

 塚本中佐は部下に命じていった。

「その二人を至急とりおさえろ!」 

午前10時

 放送会館では玉音放送の準備がすすめられていた。前日まで十キロワットであった放送電力も、とくに六十キロワットに増力され、昼間送電を止められた地方にも、送電の指示がだされた。 

 太平洋地区のアメリカ陸海軍全部隊は、米統合参謀本部よりの電報を受信した。

「日本軍にたいする攻撃行動をただちに中止せよ。ただし、哨戒索敵を持続し、防衛および保安にかんしては万全の処置を講じ、不慮の災害を防止せよ」

 太平洋方面での戦闘は完全に終わった。しかし、満洲の広野では、優勢なソ連軍がいっそう強引な猛進撃をつづけていた。弱体の関東軍はいたるところで撃破され、また多くの無力な難民集団は惨烈きわまる決死の後退をつづけていた。 

午前11時

 十七人の長老たちは、かつての大本営会議室にきちんとならび、天皇の臨席を待った。十一時二十分、小出侍従の先導で天皇は議場に入った。同三十分、戸外の熱気と対照的にひんやりとする空気のなかで、会議がはじめられた。 

 平沼議長が立って、うやうやしく一礼し、天皇にかわってお沙汰書を朗読した。

平沼騏一郎

「朕は政府をして米英支ソのポツダム宣言を受諾することを通告せしめたり。これはあらかじめ枢密院に諮詢すべき事項なるも、急を要するをもって、枢密院議長をして議に参ぜしむるにとどめたり。これを了承せよ」 

 天皇が枢密院議場に姿をあらわしたのと同じ時刻、宮城前二重橋と坂下門との中間芝生で二人の将校は生命を経った。畑中少佐はうすく腹を切り森師団長を射ぬいたのと同じ拳銃で額の真中をぶちぬき、椎崎中佐は軍刀を腹部に突きさし、さらに拳銃で頭を射って倒れた。

午後0時

 正午の時報、つづいて和田放送員の緊張した第一声が日本中の沈黙を破った。

「ただいまより重大なる放送があります。全国の聴取者のみなさまご起立願います」

 日本人は立った。

「天皇陛下におかせられましては、全国民に対し、畏くもおんみずから大詔を宣らせ給うことになりました。これより謹みて玉音をお送り申します」

 つづいて「君が代」のレコードが流れた。「君が代」が終ると、天皇の声が聞こえてきた。

「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告グ……」(中略)

 天皇は、会議室のとなりの御座所にあって、椅子に坐ったままご自身のラジオの声に聴き入っていた。 

 


文春文庫
日本のいちばん長い日 決定版
半藤一利

定価:770円(税込)発売日:2006年07月07日

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