91歳の同級生が綴る22篇の人生。「男おひとり様」の友情と心情がここにある
そんなツキアイのなか、徳岡君から、われわれ世代の体験を本にしておこうや、という提案があった。令和二年の秋、徳岡君との共著として『夕陽ヶ丘──昭和の残光』という本を上梓した。この本には、さまざまな方から望外の嬉しい評価、激励をいただいた。その励ましに勢いを得て、九十一歳の同級生二人が書いたのが本書である。
徳岡君は、「長寿になったといっても、百歳になったらもう何をする能力もなくなる。百歳以前をどう生きるかだよ、これからの課題は。それを書こうと思う」と、新聞記者生活のさまざまな記憶の中からエピソードを択んで、締めに、問題提起や提言を置きたいと言う。私は、それとは何の脈絡もなく、「『百歳以前』の身辺雑記」として、九十歳を超えた今現在の、環境、生活、思いなどを書いてみたい。後輩への指針になるか、反面教師になるか。いずれにしても何らかの意義があると思う、と言った。
こうして本書を編むスタートが切られた。
「書いても書いても、というて実際には書かれヘンから、覚えるんやけど、それが、覚えたつもりのもんが、いざ話そうとすると、みんな飛んでてなあ。結局ぶっつけで話さんといかんのや」
「だから、細切れでいいやん」
「そう言うてくれると助かるわ」
「いやねえ、この頃テレビで記者会見なんか見てると、新聞記者はみんなパソコンやスマホを前に置いて、聞いたものを直ぐ打ち込んでるみたいやけど、こっちはそうはいかん。キミがしゃべるのを直打ちしようとすると遅れて分からなくなってしまうから、ICレコーダーに録音して、その録音したものを再生してパソコンに打ってるんやけど、そんなことにも慣れてないから、なかなかスムースには運ばん。電話の時はよう分かった筈の文章が、再生の時は声が違うので聞き取りにくい。長い文章やと推測がし難く、キミが何としゃべってたかが思い出せなくて難儀する。その点、細切れで聞いたときは直ぐパソコンへ入れるので今聞いたことは聞き取り難くても推測できるからやりやすい。そやから、細切れでいいから、どんどん行こうや。それで後でプリントしたものを読むから、その時、修正してくれたらいい」
これは、今日の徳岡君との電話会話の一節である。
彼は、眼がどんどん悪くなってしまって、この頃はもう字を読むことは到底無理になってしまっているので、口述筆記で原稿を書くようになっている。
カセット・レコーダーで録音できればいいのだが、彼の視力ではその機器を操作できない。
私が彼の家へ行けばいいのだが、同じ神奈川県に住むといっても、私の住む西神奈川の小都市から横浜の彼の家までは、バスで四十分ぐらい乗って、そこから電車で、それも一か所乗換せねばならず、今の私には独りでいくのは到底無理で(総まとめをするような大事な時には、タクシーで行く手もあるが)、彼の口述を電話で受けて、私が筆記する形で、彼の原稿作成を手助けしている。
新聞記者や雑誌記者の経験でもあれば、電話送稿を受けたり、対談を記事にしたりしたことがあるだろうが、まったくその経験のない私なので、最近ようやく少し慣れてきたが、それでも録音したものを再生したり、止めたりを繰り返しながら彼の文章として書き留めるようにしている。
彼が不自由だろうと思うのは、書いた分を読むことができないから流れが掴みにくいことで、そこで、あまり溜めずに書いた分を私が電話で読んで、次を彼にしゃべってもらうようにしている。
また、年月日や固有名詞など、彼は記憶以外には調べることができない。そこで間違ってはいけない人名、地名、年月日などのウラを取るのも私の分担で、ネットで調べたり、年表で確認したりして彼の文章に入れている。毎日二、三回は電話でやり取りしながら進めている。
彼の原稿を筆にするその合間に、私は自分のチャプターを書いている。
現在九十一歳、このトシの現実を書いて、彼のチャプターの間に挟むことに意義があるのかどうかは分からないのだが、やるだけやって読者諸兄姉のご批判に任せようと思っている。
私が思いついて彼と話して決めたことなのだが、日本人が今ほど長寿ではなかったせいもあるが、九十を超えた男が九十歳以上の日常を書いたものに思い当たらない。それを書いておくことも何らかの意義があるのではないか。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。