91歳の同級生が綴る22篇の人生。「男おひとり様」の友情と心情がここにある
そして、その狙いは、「百歳以前」の現実を挟むことによって、単なる老人の思い出話とは違うものを作り出せるのではないか、と考えて書いている次第である。
このような形で執筆作業をやっていると、二人とも結構忙しい。
彼も書き始めたものを早く先へ進めたいだろうし、私の方は彼の口述を早くプリントしておきたいという気になる。ちょっと油断してまとめて書こうなんて思って溜めると、分からない箇所があちこち出てくる。
しかし、いずれにしても、これをやっている間は、それなりの充実感があるような気がする。彼も同じではないかと。これは私の勝手な想像だが。
出来上がって本になっても、彼は読むことができない。前著『夕陽ヶ丘』でやったように、全編を私が読んでCDに録音し、彼はそのCDで聴くのがゴールだが、今はそのゴールを考えているのではなく、つくるプロセスに全力投球中である。
このような執筆をやっていることは、二人にとって、生きている目標を持てていることになっているのではないか。
勿論、二人の電話の会話は、執筆作業ばかりではない。時事問題の話もするし、天下国家も論ずるし、お互いの家族のことを話すこともあるし、また共通の友人の消息についての噂話もする。それにも増して、九十一年の思い出話は尽きない。毎日のように電話していることは、お互いのストレス解消にもなっているような気がする。
令和三年一月十七日、あの阪神・淡路の大震災の日に、テレビが映し出す当時の惨状と、「がんばろう」の鎮魂の行事を見ながら、私は、自身の体験もさることながら、ある一つのことを思い出していた。
オンリイ・イエスタデイ(つい昨日)のことのように思えるのに実はもう二十六年も経っているのが信じられない思いなのだが、あの大震災の後、友人を神戸西灘の避難所に訪ね、連れだって神戸三宮駅前へ出たとき、彼と交わした会話を思い出した。令和三年の今日はじめて思い出したわけではなく、ことあるごとに思い出すのだった。
三宮駅前の瓦礫の山を見て呆然としていたときだった。
友人が、ポツリと言った。
「なんでもあり、やったなあ」
「エッ?」
「いや、なあ、考えてみれば、オレたちの人生、なんでもありやったなあ、と思って。子供のときの阪神風水害、六甲からの鉄砲水に家ごと押し流されて。次は戦争や、ここらへん見渡す限りの焼野原や」
「そうやなあ、さっきから見たことのある風景やなあと思ってたんやが、空襲のあとの瓦礫の山と一緒やなあ」
「それで、今度はこの地震や。ホンマに、なんでもありの人生、やったなあオレたち」
「そういえば、オレは戦後のジェーン台風に大阪の焼跡に建てた急造のバラックで出遭うて屋根飛ばされたこともあったなあ」
友はちょうどさしかかった生田神社の前で、
「コラ、生田はん、何しとんねん、自分の住居まで壊されよって。今までナンボ賽銭やった思うてんネン」
と関西人らしい冗談を言って笑ったが、虚空に向けられた彼の目は笑っていなかった。
その後、私が直接体験したわけではなかったが、東北の大地震という大天災が起こり、その際の原発事故という人災をも日本は経験した。「ナンデモアリ」の人生は、更に感染症ニューコロナの蔓延という百年に一回あるかないかの疫病災害にまで見舞われ、まだどうなるか分からないさ中にいる。この本を作ることを意識の中心に置いて、「百歳以前」を生きてゆこうと決めている。
(「執筆のプロセス」より)
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