- 2021.09.23
- インタビュー・対談
知られざる『三国志』の名将たちの光と影。何進、皇甫嵩、張遼、高順らの運命の分かれ道。
「オール讀物」編集部
『三国志名臣列伝 魏篇』(宮城谷 昌光)
ジャンル :
#歴史・時代小説
『三国志』を知るための年表と地図
さて、正史に基づいた宮城谷さんの『三国志』は、後漢時代にはじまり、蜀の滅亡まで、約100年以上の長きを描いた。そこで目安になるのが、10年ごとに区切った簡易年表である。
170年
党錮の禁で李膺が死す(169年)180年
献帝と諸葛亮生まれる(181年)190年
長安遷都、袁紹が盟主となり東方諸侯連合なる200年
官渡の戦い210年
赤壁の戦い(208年)
周瑜の死220年
曹操の死、曹丕が即位し、三国時代はじまる
劉備皇帝に(221年)230年
孫権皇帝に(229年)240年
曹叡の死(239年)、司馬懿と曹爽の時代250年
高平陵事変で曹爽没落、司馬氏の時代に(249年)
孫権、孫和を廃立し孫覇を殺す260年
曹髦の死、司馬昭(司馬師の弟)の時代に
蜀滅亡(263年)、晋建国(265年)270年
280年
呉滅亡
オンライン講座では『三国志』執筆のために作られたノートも公開され、こちらの年表は、「オール讀物」執筆中の名臣列伝のため、さらに更新され続けているという。
もうひとつ、執筆時に欠かせないのが、後漢から三国時代にかけての地図だ。
ここで注目すべきは、「長安」と「洛陽」の位置。直線距離にすると350キロメートルになり、だいたい東京と名古屋と同じくらいの距離だ。日本で「前漢」とされている時代は、西の長安に都があるため中国では「西漢」、東の洛陽に都を置いた「後漢」は「東漢」と呼ばれることも、覚えておくべきポイントだ。
後漢の末期、董卓は無理やり洛陽から長安への遷都を行う。この時に長安と洛陽の間にいたのが皇甫嵩だ。「しかし、もし皇甫嵩が董卓の悪を嫌って、袁紹ら東方初諸侯連合と董卓を挟撃していたら、また歴史は大きく別の方向へ動いていたのではないか」と宮城谷さんは語った。皇甫嵩については『三国志名臣列伝 後漢篇』でも詳しく書かれている。
さらに地図上で重要なのは、北に流れる「河水(黄河)」と、南に流れる「江水(長江)」である。西から東へだけでなく、時に南北方向にも流れる河水は竜にも見立てられるが、これらは三国時代の重大な局面でしばしば大きな役割を果たした。
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