澤田 ちょっと欠落している、あるいはあえて書くのを避けているところが多い主人公の土方に対して、色んな人が補完したり、逆に土方が周囲を補完したりと、ほかの小説の人間同士の絡みより、さらにお互いの関わり方が深いというところが『燃えよ剣』の特徴です。そういった中で新選組をはじめるきっかけを作った、もう一人の副長・山南敬助に私は注目しています。新選組を抜けて江戸へ帰ろうとした山南を、土方が処分する=切腹させることで、憎まれ役をかって出ますが、その場面で土方がこう生きざるを得ない人物として鮮烈に浮かび上がってくる。あるいは追手を命じられた沖田が、宿場の茶屋で山南の方から声をかけられ、二人で語り合う場面は哀しくも美しい。子供のような無邪気さの一方で、残酷な割り切りの強い沖田の性格を強く打ち出してもいます。
天野 個人的には鳥羽伏見の戦いで、ちょっとだけしか出てこない、会津藩の林権助が好きですね。古い時代の武士の典型、象徴のように書かれていて、マイナーだけれども、歴史の中に一瞬の輝きを見せた人物。こういう人はほかの司馬作品にもよく登場してきます。
谷津 グランドホテル形式というか、強烈な印象を残してすぐ消えていく、登場人物の瞬発力が半端ないのも、司馬作品の魅力でしょう。幕府の歩兵頭・大鳥圭介もその一人だと思います。後半の北征編、つまり土方が近藤と別れた後、彼はいちいち土方の戦い方を時にヘイト気味に批判する。でもこの不協和音がなければ話が平坦になってしまうし、ただの秀才にすぎない大鳥に対し、土方が的確な戦略・戦術をとることで、いよいよ彼が伝説となっていく過程が克明に描かれます。自分だったら、彼のような名わき役をどう書くだろうか、とつい考えさせられました。
三、歴史的な新選組の大問題
川越 まず新選組の結成のいきさつ自体が、その後の運命を決めるものだったと思います。もともと近藤や土方は、うっすら「攘夷」というもの以外、さほど大きな思想を持っていなかった。それが清河八郎(きよかわはちろう)の声がけで京都に上ったところで、「尊皇攘夷」を言い出した清河に反対し、自分たちのグループを突然作ることになります。俄然、もう少しトップを狙ってみたいという野心が芽生え、会津藩と誼の深い芹沢鴨に近づきました。確固たる思想のないまま、その場の流れで勤皇や尊皇ではなく、佐幕の立場をとることになり、最後まで幕府側について戦うことになる。結果論ですが、最初の新選組の成り立ちこそ、ポイント・オブ・ノーリターンだったわけです。
木下 芹沢鴨の暗殺も大問題でしょう。当時は、何と暗殺の犯人が新選組自身であることは表沙汰にならず、これだけ杜撰(ずさん)な粛清をしても誰も罰せられなかった。それが負の成功体験になってしまって、邪魔な人間は殺せばいいという方向性のエグい殺戮集団になっていく。
今村 新選組の初期メンバーは、天然理心流ではないメンバーもけっこういました。それでも思想的にはかなり統一された組織だからこそ、猛烈に突っ走ってこれたという面もあります。近藤が発した言葉を、土方が伝達して全員を従わせる。命令を受ける隊士の人数の方が圧倒的に多く、その良し悪しは別として、かなり組織としてまとまっていたはずです。ところが、池田屋事件によって、京都の町を焼き払おうとする、尊攘派の陰謀を未然に防いだ彼らには欲目が出た。現代風にいえば組織を大きくするためM&Aをして、名前の通ったところと手を組もうと、近藤勇が伊東甲子太郎(かしたろう)を招聘したわけです。これは大きな誤りだったと僕は思っていて、ちょっとずつ足元を固めるべきところへ、尊攘倒幕の思惑がある甲子太郎がやってきて、新たに色んな思想を振りまいた。新選組隊士たちが個々の頭で考えるようになり、やがて袂を分かつ原因にもなってしまいました。
澤田 やはり新選組にとって近藤というのは、非常にシンボリックな存在だったと思います。ところが自ら招聘した甲子太郎を結局は処分せざるを得ず、さらにその残党によって、近藤が鳥羽伏見の戦いを前に銃撃されてしまいます。この頃にはすでに敗色の濃い新選組ではありましたけれど、総崩れになる瞬間が近藤の負傷の場面であり、京都に上って以来の近藤の駄目さが噴出します。ところが色々と不平不満を抱いていた土方は、近藤が傷ついたことにより、逆に「自分がこうあらねば」という転機を自覚的に迎え、次の段階へステップアップしていく。そういう意味で大きな事件でした。
四、令和の時代にどう読むか
谷津 この小説は海のものとも山のものともつかない男たちが、大きな公共事業を請け負って、第三セクターを作る。最終的にはその親玉のもとで出世する話なので、非常に企業小説的なんですよね。もちろん当時と現代では社会状況は異なりますが、「一旗揚げよう」「やったるわい!」という空気は、昔もいまも変わらない。歴史を題材にしているからこその普遍性があり、令和を生きる我々の背中を押してくれます。
武川 冒頭のところで〈「トシよ」/と呼んだ、という〉との文章があって、まずこの読点の付け方が絶妙なんですが、土方が蒸し暑い武州の土地で裾をからげながら歩いていく姿の描写など、パソコンでも手書きでもいいから写してほしい。文章のテクニックを無茶苦茶使っていて、いい文章と言うのは古びないお手本でもあると思いますね。
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