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頼朝は「朝廷・幕府体制」を創設した孤高を持する「1180年代内乱史」

頼朝は「朝廷・幕府体制」を創設した孤高を持する「1180年代内乱史」

文:三田 武繁 (東海大学文学部教授)

『新版 頼朝の時代』(河内 祥輔)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #ノンフィクション

『新版 頼朝の時代』(河内 祥輔)

 もちろん、当該期に関心をもつ今日の研究者も河内氏と同様の立場にたっている。それゆえにこそ、純然たる武士によって構成された源氏勢力と貴族化した平氏勢力との対立抗争がこの内乱の本質である、という皮相的にして短絡的な発想に基づく「源平」の語を冠した呼称(「源平合戦」や「源平の内乱」等々)の使用が避けられ、当該期の年号による「治承・寿永の内乱」という語が用いられるようになったのである。ところが、研究者間では普遍化しているこの語を河内氏は用いていない。旧版刊行時の副題にもあるように、河内氏が用いたのは「一一八〇年代内乱」という語である。

 河内氏の文体の明晰さはすでに指摘されていることではあるが、用語も直截簡明なものが多い。「一一八〇年代内乱」もその一つであり、飾り気一つないこの語が指す事象は明瞭である。それゆえ気づきにくいことだが、この語を用いる研究者は皆無に等しい。一一八九(“文治”五)年の奥州合戦をも叙述の対象にしていることがこの語の採用理由にも思えるが、近年の「中世前期の政治思想」(『新体系日本史4 政治社会思想史』山川出版社、二〇一〇年、所収)では、奥州合戦に言及することなくこの語を用いているから、話はそれほど単純ではない。河内氏に確認したわけではないので、臆断との誹(そし)りは免れないであろうが、研究レヴェルですでに普遍化している語ではなく、市民権の獲得すらほど遠い語を用いた理由は、内乱の本質のとらえ方が決定的に異なることにあるように思える。

 近年の研究では、地域社会における武士相互の競合・闘争を当該内乱の本質とみる学説(川合康氏『鎌倉幕府成立史の研究』校倉書房、二〇〇四年、など)が有力視されている。確かにこの内乱にはそうした要素が多分にある。だが、それだけでは説明できない問題も残されている。壊滅的な打撃をうけた頼朝の下に東国の武士団の多くが短期間のうちに結集したのは何故か? 反乱が東国だけでなく、同時多発的に全国で発生したのは何故か? 既成秩序の根源にある朝廷打倒ではなく、反平家という形をとったのは何故か? 如上の学説がこうした素朴な疑問に説得力のある解答を提示するのは容易ではない。

 他方、本書に示された河内氏の説明は明快である。平家は「朝廷の破壊者」であるからこそ打倒の対象となったのであり、そうした意識が広く存在したからこそ、多くの武士が反平家運動に参加したというのである。近年の氏の著作において盛んに用いられている「朝廷再建運動」という語こそ登場しないものの、本書において河内氏は、この内乱の本質を地方武士が参加する「朝廷再建運動」たる点に見いだしている。かかる鮮烈な学説を提起する以上、認識を全く異にする他の研究者の用語を安易に使用することを忌避するのは当然であろう。

 事象の実相を見誤らす先入見の元凶は、いわゆる「平家物語史観」だけではない。根拠不明ながらも一般に流布し、半ば「常識」化した言説や、合理的な説明を欠いているにもかかわらず、「定説」化している学説も同様である。河内氏は冷徹な眼で関係史料に検討を加え、そうした「常識」や「定説」を否定し、新たな理解を提示する。「東国独立論」を批判した箇所や、「諸国国衙在庁(こくがざいちょう)・庄園下司(しょうえんげし)・惣押領使(そうおうりょうし)らの進退権」なる権限の存在を否定した箇所、「日本国第一の大天狗」は後白河法皇ではなく高階泰経(たかしなのやすつね)であることを指摘した箇所、議奏公卿(ぎそうくぎょう)に対して冷静な評価を下した箇所、等々、数え上げればきりがない。

文春文庫
新版 頼朝の時代
1180年代内乱史
河内祥輔

定価:1,650円(税込)発売日:2021年12月07日

電子書籍
新版 頼朝の時代
1180年代内乱史
河内祥輔

発売日:2021年12月07日

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