『跳ぶ男』は、能を素材に国の立て直しに賭けた男たちの大勝負を描いた武家小説である。と同時に、さまざまなジャンルの小説の妙味を味わわせてくれる奥行き深い作品でもある。凜とした気が横溢する静かなれど熱き闘いは、さながら冷戦期のエスピオナージュや国際謀略小説を、独り敵陣に乗り込み任務に専心する様はミッション遂行型冒険小説を、故人が残した言葉の意味を探る筋立ては、伝統的な謎解きミステリを彷彿とさせる。さらに、一介の能役者の息子が藩主の身代わりとなり、御国の命運を賭けて舞う中で、内省を繰り返し成長していく構図は、倒立した貴種流離譚にほかならない。
『白樫の樹の下で』で第十八回松本清張賞を受賞して以来、「小説とは、特殊を書いて普遍的な読後感を与えるものである」という信念に基づき、常にリーダビリティを意識すると同時に、「創作はオリジナリティがすべてであり陳腐は最大の敵」として「人間を既成の枠に押し込める視線は徹底して忌避」した作品を書いてきた青山文平。予定調和が支配しがちな時代小説という形式を採りながら、同ジャンルのファンにとどまらず広く読まれる理由は、この一貫した創作姿勢によるところが大きい。
とりわけ、オリジナリティに対する思い入れは強く、本書でもこれでもかとばかりに新たな試みを行っている。まずは主人公。これまで青年から壮年、そして老年まで大人を主役に武家の有り様を描いてきたが、今回、十五歳の少年を主役とした。また時代を、青山作品では未開拓領域であった天保年間、即ち町人文化全盛期の文化・文政以降に設定。加えて、従来オリジナリティ重視の立場から実在の人物に関しては端役としてもほとんど登場させることがなかったのだが、徳川将軍を初め複数の大名を起用し重要な役回りを与えた。その上で、これまで得意としてきた〈刀〉を敢えて後ろに置き、代わりに管理統制と約束事により成熟洗練を極めた特異な芸術である〈能〉を軸に据え、約束事の巣窟たる江戸城深部を舞台に、「ちゃんとした墓参りができる国」という難しい主題を実現する仕掛けを入念に構築していく。
ちなみに「オール讀物」二〇一九年二月号に掲載されたインタビューによると、とっておきの素材を繋げての難題の解決策が閃いたことが、本書の出発点となったそうだ。「書きたいことのまえに、まずは『素材』がある」青山は、執筆以外の時間の大半を資料の山の中から細部に本質が宿る素材を探索することに当て、時間を経て熟成した素材を基に大きく構想し、書き始めるという。こうしたスタイルは、不可思議な謎に対して閃いた意外な真相が読者にとって説得力を持つ様に、トリックを考案し、入念に手がかりを配し、伏線を敷き、精緻に論理を積み重ね、絶妙な塩梅でカードを切るミステリ作家のそれと相通じるものがある。その手際の何と見事なことか。保はなぜ抜刀したのか? 彼が遺した言葉の真意は何か? 想いも寄らぬ深謀遠慮の行く末は? 能を能たらしめているものとは? いくつもの謎と興味が牽引力となりページを繰る手が止まらない。そして訪れる見事な幕切れ。先述したように刀を背後に置きながらも、自裁できるものとしての武家の有り様を問うという青山作品で繰り返し語られるテーマは本書でも重きを置かれており、これを能とどう絡めていくのかが大きな読み所だ。新機軸を打ち出し続ける青山文平は、『跳ぶ男』で一段高く飛躍した。傑作である。
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