シャーロック・ホームズの熱狂的ファンをシャーロッキアンと言うように、松本清張の熱狂的ファンをセイチョリアンと言う。……かどうかは知りませんが(語感にやや難あり)、『清張鉄道1万3500キロ』の著者である赤塚隆二氏は、まさにセイチョリアンの第一人者ということになりましょう。
清張作品はあまりに膨大であるため、その全体像を把握することは、容易ではありません。そんな中で著者は、膨大な清張作品に分け入るための“地図”を作るにあたり、鉄道という視点から見通しているのでした。
清張と鉄道という視点は、特別に目新しいものではありません。しかし清張作品の中で、どの登場人物が最初にどの路線に乗ったのかを時系列で調べていくという、言わば「乗りつぶし」の視点を著者が持ち込んだところが、極めて斬新なのです。
本書の冒頭に記してあるように、著者は自身もJR全線を乗りつぶした経験を持つ、大の鉄道好き。最後の路線となった越美北線の九頭竜湖駅に降り立った著者は、達成感と同時に、一種の喪失感をも覚えていたのではないかと、私は想像しています。
鉄道の全線乗りつぶしという趣味を世に知らしめたのは、鉄道紀行作家の故・宮脇俊三氏であり、氏のデビュー作『時刻表2万キロ』は、国鉄(当時)の完乗までの過程を描いた作品です。そんな宮脇氏は、足尾線に乗って完乗を果たした後、今で言う所の燃え尽き感に包まれたようです。自筆年表にも、
「虚無感に襲われる」
と記されているのであり、壮大な目標だった完乗を達成した鉄道好き達はしばしば、ふと力が抜けてしまいがちなのではないか。
本書の著者は、二〇一三年の四月にJR全線乗車を果たした後、「14年から16年にかけて、私は清張作品を集中して読んだ」と、エピローグにはあります。乗りつぶしという目標を完遂した後で、著者が次に見定めた目標が、清張作品の登場人物達の姿を借りた、二度目の乗りつぶしだったような気がしてなりません。
松本清張の文壇デビュー作『西郷札』の主人公が、はからずも国内初の鉄道区間である新橋―横浜に乗っているのは、偶然でありながら必然と言いたくなる事実です。デビュー後、人気作家となっていった清張は、登場人物達を様々な列車に乗せて、日本各地を巡らせるのでした。
初期の頃は、土地勘のある九州を中心に、東京以西の路線に乗ることが多かった清張作品の登場人物達は、やがて東北へ、そしてその他の地方へと足を延ばしていきます。次第に鉄道と犯罪とが密接に結びつくようになり、その一つの頂点が、一九五八年に刊行された『点と線』でした。