- 2022.02.16
- 書評
新型コロナで露わになった人間の非合理性を学問的に証明した二人の天才の物語
文:阿部 重夫 (ストイカ・オンライン編集代表)
『後悔の経済学』(マイケル・ルイス)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#政治・経済・ビジネス
だが、直感と合理のキメラは、ネット社会では擬似ニュースとビッグデータの合体という怪物を生んだ。いったん野に放たれたこの怪物は、フェイクニュースの洪水となって誰も制御できなくなる。経済制裁を受けるロシアや中国、北朝鮮などは、そこに包囲網の弱点を見て攪乱を仕掛ける格好の風穴を見出した。ブレグジットとトランプ選対の仕掛人だった「ケンブリッジ・アナリティカ」が解体され、フェイスブックやツイッターが怪情報のアカウントを躍起になって削除しても、民主主義の根幹である国政選挙は、フェイクによって世論がねじ曲げられたのではないかとの疑いを避けられない。
二〇二〇年から始まった新型コロナのパンデミックで、怪物は第二の盛期を迎えた。暴言王のトランプは再選されなかったが、ロックダウン(都市封鎖)の不安に乗じて非科学的な流言飛語がネットに溢れ、それを増幅させる連中がリツイートなどでバイラルに氾濫させた。いくら政府がワクチン接種を呼びかけても、「人類抹殺の陰謀だから応じるな」といった妄言を信じこみ、頑なにマスクも検査も接種も拒否する人びとが根雪のように残った。メディアがいくら丹念にファクトチェックで打ち消そうとしても、フェイクで炎上させる快感に味をしめた顔のないネット民の付和雷同がやまない。
地頭のいい人ほど罠に落ちる。内省を知らず、体系を軽んじ、断片的雑学の一知半解では、遺伝子学、免疫学、統計学、進化論などのパラドクスに太刀打ちできない。Post-Truthの時代は、二人のイスラエル人が切り拓いた認知心理学、行動経済学の「魔」に憑かれ、非合理に合理は勝てないのだろうか。
実は二人の仲は「プロスペクト理論」を結実させた実質十年間しか続かなかった。二人とも米国の大学に移ったが、評価はトヴェルスキーに偏り、脇役になったカーネマンは屈託した。それが悪性黒色腫によるトヴェルスキー五十九歳の死で、六年後にカーネマンがノーベル経済学賞に輝くドンデン返しになる。
『ファスト&スロー』ではファスト思考とスロー思考に架空の人格を与え、直感的な前者を「ヒューマン」、合理的な後者を「エコン」(Economyからの造語)と呼んで、脳内の心的葛藤をわかりやすく擬人化した。ルイスもそれにならってか、ヒューマン役にカーネマン、エコン役にトヴェルスキーをあてているかに見える。
目に浮かぶのは二人が一室に閉じこもって談笑している場面だ。合理と非合理の境を行き来しながら練り上げた共同革命。アカデミアを越えて社会に巨大なインパクトをもたらしたのは、天才二人の友情と相克だった。これは単なる科学の裏話ではない。小さな「エウレカ」(発見)が巨大なレゾナンス(共鳴)になっていく奇跡劇である。
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