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黄色いか黄色くないか

黄色いか黄色くないか

加納 愛子

文學界3月号

出典 : #文學界
ジャンル : #小説

「文學界 3月号」(文藝春秋 編)

 私と遊ばなくなってから、奈美の制服のスカートの丈は短くなった。みんな「色気づいちゃって~」なんて茶化していたけど、私だけは本当の理由を知っていた。正確には、奈美は元の丈に戻しただけだ。もう舞台からパンツが見えないように配慮しなくてすむようになったから。劇場で一番前の席に座るとき、私たちは限界までスカートを伸ばしていた。今まで知らなかった世界を見せてくれる人たちにとって、常に良客でありたかったから。

 奈美の膝が見えているのが淋しくて、私も同じように丈を短くして一人で劇場に通った。でももう前列には行かなかった。入り口に近い後ろの席で、光を放って躍動する舞台と揺れる客席をはじめて同時に見た。自分が見ている景色の中に、少し前までかぶりつきで見ていた自分と奈美の後ろ姿が浮かんだ。私はフライヤーを強く握りしめて、この景色を仕事にしよう、と心に決めた。

 もう一つの紙の山は、自分が制作で携わったライブのフライヤーとアンケート用紙。アンケート用紙は二種類あって、ライブでお客さんに書いてもらったものと、初めて印刷を任されたときに部数を間違えて大量に余らせてしまったもの。同じ間違いを繰り返さないように、戒めの意味で捨てずにとってあった。両手に紙束を抱えて会場に入ってきた私に、代表の竹井さんは「何部刷ってんの? ここZeppやBLITZじゃないんだから」と呆れた。静かなトーンで滔々と説教されている間も、都内のライブ会場のキャパを把握している竹井さんすごい、と感心していた。

 自分がアンケート用紙を作成する担当になってからは、観客として通っていた頃にはなかった「改善してほしい点、その他なにか希望はありますか?」という欄を追加した。はじめこそ同じスタッフの先輩に「エンターテインメントにおいて、お客さんのしてほしいようにやるのがそもそも正しいのか?」と嫌味を言われたが、後になってそこに書かれた意見はずいぶん運営の役に立っていると感謝された。

 けれど、お客さんの意見は自分が想像していた以上に辛辣なものが多かった。「会場が暑かった。もっと冷房を効かせてほしい」「音声が聞き取りづらかった」「他の客の私語が気になった。スタッフがちゃんと注意してほしい」「袖の出演者の声が漏れていて不快でした」「値段の割には退屈でした」「つまらない」「長かった」

 客席から満足そうな表情で帰って行った人達の言葉とは思えなかった。高校生の私が当時アンケートに書きたかったのは「スタンプカードを作ってほしい」という今考えれば哀れなほどに無邪気なものだった。仕事を始めたばかりの頃は、殴打に近いアンケートを夜遅くまで読み、毎日真正面から受け止めてはきちんと凹んで、その後何日も引きずった。

 それら全ての紙を、できればひとつ残らず新しい部屋に持って行きたかった。主がいなくなって温度を失うこの部屋で、ただのA4用紙として眠らせるなんてできない。そんなことをしたら、今の私を作り上げた大事な過去も一緒に眠ってしまう。

 

この続きは、「文學界」3月号に全文掲載されています。

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