先ずは本書に登場する人物について、本書での解釈とは別に、客観的な事績を記そうと思う。その理由はのちほど。
〇見性院(?~1622)武田信玄の次女で、母は正室の三条夫人。武田家臣の穴山信君(梅雪)の正室となる。信君の母は信玄の姉であるから、信君と見性院は元来がいとこの関係にあった。穴山家は甲斐南部・河内地方に勢力をもつ有力な国衆で、武田親族衆の筆頭に列した。天正10年(1582年)2月の織田信長の甲州征伐において、信君は織田方に内通し、戦後は武田宗家を継承することを認められた。だが同年6月に本能寺の変が発生すると上方にいた信君は宇治田原において農民の襲撃を受けて落命した。武田家は夫妻の子の穴山勝千代が当主となるが、彼も5年後に早世。穴山武田家は断絶した。見性院は徳川家康に保護されて暮らし、のち幸松丸を異母妹・信松尼と共に養育した。
〇大姥局(1525~1613)徳川秀忠の乳母。今川家臣・岡部貞綱の娘で、夫は穴山梅雪家臣の川村重忠。夫ははじめ今川家に仕え、同家の人質だった松平竹千代、若き日の徳川家康の世話役であった。夫・重忠の死後、家康に召し出され、母を亡くしていた秀忠の養育係となった。のち草創期の大奥で権勢をもった。秀忠が彼女の侍女であったおしずを妊娠させると、秀忠正妻・崇源院(お江の方)からおしずを守り抜き、無事に出産させた。生まれた幸松丸は局と懇意にしていた見性院の養子となった。
〇保科正光(1561~1631)保科氏は信濃高遠地方の国衆で、彼の祖父の代から戦国大名・武田家に仕えた。正光は武田家滅亡後に徳川家の家臣に転じ、徳川家康が天正18年(1590年)に関東に入ると、下総国多古で1万石を与えられた。その後も堅実に務めを果たし、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、旧領を与えられて高遠藩2万5000石を立藩する。元和3年(1617年)、徳川秀忠の庶子、幸松丸を養子として迎え、その養育に当たった。翌年に秀忠の上洛に従った功績として、筑摩郡に5000石を加増されて3万石の大名となる。寛永8年(1631年)10月7日に死去した。享年71。
正光の父・正直のもとには、後妻として家康の妹(ただし異父)が嫁いで六人の子をなしており(なお正光は先妻の子)、彼女は幸松丸が養子となったときにも健在であった。彼女によって結ばれた徳川家との縁も、保科家が幸松丸の養育先として選ばれた一因になったかもしれない。
なお、正之が秀忠の子と認知され、将来的に家名を保科から松平に変える可能性が濃厚になると(のちに実際にそうなった)、正光の弟で、家康の妹を母とする保科正貞が登用され、上総飯野(現在の千葉県富津市)に1万7000石の飯野藩が生まれて明治維新まで続いた。
〇左源太(生没年不詳)保科正光の姉は信濃国衆の小日向という家に嫁いでおり、そこで儲けた子が左源太であるらしい。正光の正妻は真田昌幸の娘であるが、小日向家は真田とも何らかの関係があったようだ。この二つの縁で、左源太は正光の養子に選ばれていたと考えられる。幸松丸が高遠に入った後の事績は伝えられておらず、正光より先に亡くなっているらしい。高遠の満光寺に彼の墓という五輪塔が残されている。
〇土井利勝(1573~1644)徳川家康の生母・お大の方の兄である水野信元の庶子という。ただし、水野家の系図に利勝の名はない。土井利昌の養子、もしくは実子。土井氏の系図では、実子説を採る。土井家が三河譜代ではない、小さな家にもかかわらず、彼は家康の側近くに仕えていた。そのため家康の落胤説がささやかれる。徳川秀忠の側近として精励して地歩を固め、やがて秀忠付きの老中となる。元和8年(1622年)に家康の側近として辣腕を振るった本多正純が失脚すると、名実ともに幕府の最高権力者となった。将軍職が徳川家光に譲られると、変わらず家光を補佐し続けたが、寛永14年(1637年)頃から中風を病むようになる。翌年、体調を気遣った家光の計らいにより、実務を離れて大老となり、名誉職のみの立場となった。寛永21年(1644年)7月10日に死去した。享年72。
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