- 2022.07.21
- 書評
設定と推理の魔術師、強力無比なデビュー作!
文:阿津川 辰海 (小説家)
『イヴリン嬢は七回殺される』(スチュアート・タートン)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
4 再読のための手引き
まず、設定のことから始めなければならない。本書には、「もともとの設定」と、〈黒死病医師〉が独自に設定した部分があることをまず確認する。
■もともとあったSF設定
・囚人の矯正プログラムで、ある事件の内容を繰り返し体験させられる。
・何人かのプレーヤー=囚人は、目的と記憶を保持し、謎の解決=脱出を目的として競い合う。
↓ アナベルを追って無実の男=エイデン・ビショップが入り込む。
■〈黒死病医師〉によって修正されたルール
・エイデンは複数の宿主に入り込み、同じ事件の内容を複数の視点から体験することが出来る。=目的である「囚人矯正」に沿わないがゆえに取られた優遇措置。
・宿主の順番は〈黒死病医師〉が自由に操作できる。本書で体験する八人の宿主とその順番は、〈黒死病医師〉が「謎を解くために最も有用」と考えたものである。
ここまでがルールである。宿主を転移するうち、エイデンの記憶は摩耗し、記憶喪失の状態に陥っているが、それも本来のルールが想定していない事態なのだ。つまり、本書で〈黒死病医師〉と共に真相をあからさまに話し続ける「頭の中の声」は、元のエイデンの意識だ。
このルール修正の過程について押さえておかないと、ダニエルが「自分は第八の宿主だ」と嘘をつく理由が了解できない(123ページ~)。あれはレイヴンコート=「四日目」のエイデンの手紙を読み、エイデンの邪魔をするための嘘だった。〈黒死病医師〉は「屋敷にとらわれた人間はほかにふたりいて、きみと同じに客や使用人の身体を着ている」(108ページ)などと述べ、プレーヤーが三人であることは明示しており、これはエイデン、アナベル、ダニエルの三人と思われる。ダニエル以外の宿主とは全然協力出来ていない──あまつさえ、宿主・グレゴリーに入った時は、自分で自分を殴らなければいけない──という矛盾も、ダニエルが宿主とは異なることを示す伏線と言えるが、一方で、読んでいる時に混乱を深める要因だろう。
さて、次の疑問はルール上の「謎を解く」という部分についてだ。つまり、どこまで解けば、謎を解いたことになるのだろう? 囚人矯正プログラムの作成者の「想定する答え」「解決済みの事件の答え」を指すのか。それとも、「真実」を指すのか?
そのヒントとなる記述を二箇所引いてみよう。いずれも〈黒死病医師〉の発言である。
(A)「(……)囚人を独房で朽ちさせるかわりに、毎日、自分は釈放するに足ると証明する機会を与える。そのすばらしさがわかるかね? いまだかつてイヴリン・ハードカースルの殺人は解決されたことがなく、おそらくはこの後も解決されないはずだった」(516ページ)
(B)「ミスター・ビショップはマイケル、ピーター、ヘレナ・ハードカースルの殺人を解決した。そしてフェリシティ・マドックスの殺人未遂──とても巧みに伏せられて、わたし自身にも上司たちにもまったく知られていなかった犯罪も解決した」(575ページ)
(A)の言葉を額面通り受け取るなら、この設定における「謎を解く」という要請の難しさが分かってくる。囚人矯正プログラムの一環として、過去の未解決事件を再現し、囚人たちをそこに送り込む──そこまでは今までのSFにもよく描かれてきた光景だ。だが、「犯罪の再現」式のプロットには、常に共通の疑念がつきまとう。「そもそも、再現された犯罪の光景に、謎を解くための手掛かりが全て『再現』されているとは限らないのではないか」という疑念である。つまり、「主催者が想定する答え」と「真相」の間の差が問題になる。
ここで(B)の発言を読み解くために、本書の真相をまとめる。本書で〈黒死病医師〉が発する問い、「誰がイヴリンを殺したか?」には、三つの名前が答えとして提示される。
・第一の名前:マイケル・ハードカースル
レイヴンコートとの結婚から逃れるため、「イヴリン」はマイケルを共犯に偽装自殺を計画。しかし、マイケルは二挺のリヴォルヴァーを用意して裏切る。エイデンはラシュトン巡査(第七の宿主)として、口径の違う銀のピストルを持たせて阻止した(「なぜ銀のピストルを持っていたか?」という疑問が、後に「主人公自身が行ったから」とすり替わる因果の逆転は、まさしく時間パズルの魅力である)。
・第二の名前:「イヴリン・ハードカースル」
「イヴリン」は実は「フェリシティ・マドックス」であり、メイドの「マデリン・オーベール」こそ真の「イヴリン」だった。彼女は毒を盛ってフェリシティを殺し、ハードカースル家から逃亡を図る予定だった。原文ではEvelyn、Madeline、Maddoxとなり、音の重なりによって、「マデリン」という第三の女性を蝶番に、二人の女性が入れ替わるさまを暗示している。
・第三の名前:フェリシティ・マドックス
まさにエイデンたちの眼前で、フェリシティはイヴリン=マデリンを撃ち殺した。
(B)の発言を踏まえれば、〈黒死病医師〉が「真相」として想定していたのが「第一の名前」までであることが分かる。巧みに伏せられて気付かなかった「フェリシティ・マドックスの殺人未遂」とは、「第二の名前」の領域に入る毒殺未遂を指すと考えられるからだ。なお、(A)を踏まえると、元は「第一の名前」まで含めて未解決だったと推測されるが、〈黒死病医師〉がエイデンのために「修正されたルール」を作るうちに、「第一の名前」までは気付いたのだろう。
「問題の作り手」=〈黒死病医師〉たちさえ想定しない真相まで読み解けるように「再現」されたとすれば、これは御都合主義に陥ってしまうが、タートンはその問題も巧みに回避してみせている。すなわち、「マデリン」=「イヴリン」を読み解くための手掛かり(556ページ~557ページ)は、全て、「第一の名前」の真相を追いかけるために、半ば必然的に描かれる手掛かりになっているのだ。すなわち、全く新しい事象を持ち込むのではなく、「構図の読み替え」という手法によって、「名探偵」の知恵が活躍する領域を生かしていると言える。
これこそが、謎解きミステリーとしての本書について、最も唸らされた部分だ。
スチュアート・タートン、底知れない作家だ。次なる冒険を楽しませてくれる日が、楽しみで仕方がない。この解説が、その魅力を知る一助となることを願っている。
令和四年五月上旬
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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