一八世紀に英国で農業・産業革命が起こるまでは、飢え、病気、災害などに抗する術を持たない人々の人生は、ひどく短く残酷なものだった。モーランドは、人口増加をもたらす強力な原動力として、(1)乳児死亡率、(2)出生数、(3)移民、の三つを挙げているが、公衆衛生が向上して人々の健康状態が改善されると出生数が死亡数を上回る「人口転換」と呼ばれる現象が起こり、人口が増加し始める。
一八〇〇年前後を境に、アングロサクソン(主にブリテン人とアメリカ人)は、この人口増加と産業革命の恩恵を受けて、農業生産量の増加、輸送機関の発達、公衆衛生環境の向上などを通じて、「マルサスの罠」から逃れることができたのである。
人口が大幅に増えると、人々は食料や新たな定住先を求めて海外へと流出し、定住した先でまた人口転換が起きる。こうした急激な人口増加は、まずイギリスに軍事力と経済力、更には文化力といったソフトパワーをもたらし、その結果、新大陸やオーストラリア、ニュージーランドに移民として展開し、大英帝国を築き上げていったのである。人口転換は、こうしてヨーロッパからアメリカ、オーストラリアやニュージーランド、ロシア、アジア、中東へと広がり、現在はアフリカまで到ろうとしている。
本書では、イギリスの分析に続く各章で、アメリカ、ドイツ、ロシア、日本、中国、東アジア、中東、北アフリカなどの地域を分析した後、最終章において、人口転換の最後のフロンティアとして、サハラ以南のアフリカを取り上げている。この点は、上述した国連の報告書と共通の認識である。そして、モーランドはそのインパクトの大きさを、過去四十年間での最大の世界的ニュースが中国の経済成長だったとすれば、これから先の四十年間のニュースは、アフリカの人口増加になるだろうと言っている。
そして、こうした地域ごとの分析を行った上で、これからの人口動向の注目すべきポイントを、(1)増加するグレー(人口の高齢化)、(2)増加するグリーン(環境に優しい世界)、(3)減っていくホワイト(白人の減少)、の三つにまとめている。
グレーについては、今後、出産の減少と寿命の伸びが相まって、世界が急速に高齢化する中で、平和で活気がなく低リスクな社会、そして年金と介護が負担になる社会が来るだろうと予測している。グリーンについては、これからはESG(環境、社会、ガバナンス)に代表されるような環境に優しい世界が志向される、或いは志向すべきとしている。そして、ホワイトについては、一九世紀初めから二〇世紀半ばにかけて爆発的に増加した白人の割合が、これからは逆に、劇的に減少していくことになるだろうとしている。
因みに、本書は日本についても多くの文字を割いており、仕事と育児が両立しない文化、先進国中最下位に近い男女賃金格差という悪条件下での出生率の低下を指摘し、日本がこの超少子高齢化にどう対処していくのか世界が注目しているとしている。残念ながら、日本人自身が気づいているように、もはや日本には打つ手はほとんどない状況である。ドラッカーが指摘するように、何十年も前から分かっていたにも関わらず、日本が人口問題に手をつけないできたつけは大きいと言わざるを得ない。
このように、本書は人口という視点から近代以降の世界史を俯瞰しているのだが、これに関連して、ブラウン大学のオデッド・ガロー教授の「統一成長理論」に触れておきたい。この理論は、人類史における経済成長のプロセスを統一的に説明することを目的としている。つまり、産業革命以前の一八世紀まで続いたマルサス的停滞の時代と産業革命以後の内生的・持続的成長の時代とを、ひとつの統一的な経済成長モデルとして説明しようとするものである。
これまでの経済学では、現代的な経済体制に「飛躍」できた先進諸国とそうでない国の違いは何だったのかという問いに統一的な説明を与える理論は存在しなかった。
この点について、モーランドのような人口学者は人口規模に注目する訳だが、ガローはそれだけでなく、「人的資本の形成」が極めて重要な役割を果たしたと考える。つまり、一八〇〇年以前は「マルサスの罠」で経済が停滞していたものの、その裏では生活水準の改善と教育という人的資本への投資を通じて人口における質の高い人材の割合の増加が進んでおり、これがマルサス的停滞から脱却して「飛躍」する契機になったというのである。
そして、この「飛躍」のタイミングが国によって異なり、その結果、国家間の経済格差が拡大した理由も、この質的構成の違いによるものとして説明できるとした。
日本では超少子化・超高齢化が社会問題となり、経済成長のために労働人口をいかに増やすかが議論されているが、これまではその労働力の中身については議論されてこなかった。岸田内閣の「新しい資本主義」で初めて、「人への投資」が大きな柱のひとつとして打ち出されたが、ガローの理論は正にその重要性を示唆しているのである。
一人の英雄譚として或いは共産主義革命のような唯物史観として、ストーリー仕立てで説明してきた旧来の歴史に対して、本書のような人口動態を始め、資産価格や遺伝子などの膨大なデータ解析に基づいて説明する新しい歴史学の行方に注目していきたい。
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