『汝、星のごとく』凪良ゆう
――瀬戸内の島で育った十七歳の暁海(あきみ)と、母の恋愛に振り回され島に越してきた櫂(かい)は、心に孤独を抱えた者同士、惹かれあい、すれ違いながらも成長していきます。二人が32歳になるまで紡いだ愛を巡る物語です。第168回直木賞候補作にも選ばれています。
川俣 とにかく、読ませる小説でした。主人公の暁海と櫂の二人だけでなく、登場人物みんながそれぞれ恋愛に振り回されていますよね。候補作中で一番ストレートに恋愛を描いた小説だと感じて、非常にグッとくる作品でした。
山本 僕としてはダントツの一作です。
凪良さんの特徴として、目の前にいる自分が憎んでいる相手は、誰かにとってかけがえのない人であるという目線があると思います。この作品でも、鮮明に描かれていました。
さらに言うと、小説内の人間模様に、「そういうことをやっちゃうのも、何かよく分かるし、自分も同じことをするかもしれない」と感じさせる深さがあります。読者自身の共感できるかできないかという感覚を超えて、気持ちを察させるということを実現している小説です。
沢田 読みやすさは抜群で、なおかつ面白かったです。読んでいて気になったのは、親に比べて子が立派すぎるとか、漫画家になった櫂のキャリアのうねりが大きすぎるとか、そういう極端さです。ジェットコースターのような展開でページをめくらせますが、やはり「大人の恋愛小説」というものの定義を「なんやねん、なんやねん」とずっと考えていて……。その点から考えてみると、読者に「また大切な人の死で、泣かせようとするのね」と受け取られてしまうのではないかという懸念が浮かびます。『世界の中心で、愛をさけぶ』(片山恭一)から『君の膵臓をたべたい』(住野よる)まで、大切な人が死ぬ話はこれまでたくさん書かれていて、「また同じパターンか」と受け取られかねないな、と。
大塚 候補作の中でも、とりわけ熱量の高い作品だと感じました。ただ、沢田さんのおっしゃる通り、人が死んでしまいますよね。乱暴な言い方かもしれませんが、登場人物が死ぬ時点で、その物語がある図式の中に取り込まれてしまうと思うんです。それはリスクであり、もちろん作中の死に必然性はあるのですが、その人たちに生きていてほしかったなという気持ちがあります。登場人物たちが再び立ち上がるような世界を描くのは、死んでしまう展開よりもずっと難しいですよね。それでも、できればその難しい方へと挑戦していただきたかったとも感じました。
加藤 恋愛ドラマって昔は必ず誰かが死ぬ展開がありましたよね。今の時代に合っているかどうかは考えどころですが、候補作中では飛びぬけて恋愛小説らしい一冊です。そこも含めてこの作品のいいところかなと思います。ドラマは人の死があって成立する部分もありますから、読了後に「映像化にぴったりだな」とも感じましたね。
大塚 私はいつも小説を読んで気になったところを書き出しますが、その作業を通して、この作品の決め台詞がほとんど会話の中に出て来るなと思ったんですね。肝になるような心に残る台詞がたくさん出てくるものの、会話文の中に頻出するとなると、単調にも感じられるなと思います。
加藤 しかし、凪良さんは読者を引き込むのが、本当にお上手ですよね。サバサバとした文章がどんどんと熱を持っていって、「ああ、実はこう思っていたんだ」と読者の気持ちを熱くさせて、最後にはそれをパッと吐き出すように終わる展開で。発売前から話題になって、一読者としてもいい恋愛小説だったなと思いながら読み終えた作品です。
山本 凪良さんの作品に共通する書き方に、全部の世界観を出し切らずに、少し残した状態のまま「これで終わりです」と締める点が挙げられますよね。砂時計の砂を落とし切らずに少し残すような、余韻があります。
この作品は残った砂のざらつきが強くて、とても上手だなと感じました。死んでしまうところでスッパリ切るのではなくて、「じゃあここからどこに向かえるか」というところが重要なのではないかなと思うんです。
川俣 「何か恋愛小説が読みたいです」と言う読者に今、何を差し出すかといったら、やっぱりこの作品かもしれないですね。
山本 恋愛小説という点でも、この作品は恋愛という箱に登場人物を入れて、どう動くかという描き方をしている、とも言えると思います。他の候補作と違うのが、恋愛が触媒ではないという点です。その書き方のすごさに、読了後、言葉を失ってしまったほどでした。大人の恋愛小説として、ダントツだと思っています。
『求めよ、さらば』奥田亜希子
――34歳の志織(しおり)は、夫・誠太(せいた)の趣味であるカメラに被写体として協力したりと、穏やかな夫婦生活を営んでいました。しかし、志織の写真を載せる誠太のSNSが更新されなくなり、そのアカウントに送られてきたメッセージと誠太の返信を盗み見て、衝撃を受けます。
その2週間後、夫は突然、離婚届を残して失踪します。夫婦間のコミュニケーションに加えて、不妊治療についても描いた作品です。
沢田 奥田さんの小説は、ミステリーのような伏線がすごく丁寧で、デビューされた時から注目している作家さんです。この作品でも、その持ち味が発揮されていました。何度読んでも「ここがつながるんだ」と味わえて、新たな発見があるんですよね。繰り返し読めるという点も、大人の読書にぴったりだと思います。
大塚 私も伏線がすごいと思いました。第1部、第2部と物語が進むにつれて、志織の人物造形や誠太の存在感がどんどん厚みを増していくような作りになっていますよね。すごい作家さんだと思いました。
一方で、「不妊」もこの小説の大きなテーマにありますよね。この切実な問題を「恋愛小説」に押し込めてしまっていいのか、というためらいは正直あります。
川俣 選考会に臨むにあたって初めて読んで、「この本を読めてよかった」と感じた作品でした。
夫婦のお話とはいえ、恋愛をし直しているような展開が面白かったです。最初は不妊がテーマだと思っていたのですが、最終的には恋愛のお話になっていたと思います。ぐいぐい読ませてくれる作品でした。
ただ、カギとなるアイテムとして惚れ薬が登場して、ちょっと非現実的にも思えたんですね。そこにすこし引っ掛かりました。
山本 この物語が嫌いな人っていないんじゃないかなと思っていて、その点リーダビリティが高いと思いました。抑制的な筆致でもあり、そういう意味ですごく素敵な大人の小説だなと思いました。
沢田 「大人の恋愛小説ってなんやねん」と、候補作を読みながらずっと考えていたのですが、ひとつ心に留めていたのは、「登場人物がいかに現実にきちんと縛られているか」ということです。その点、『求めよ、さらば』は図抜けていたように感じています。
加藤 私も「大人の恋愛小説ってもしかしたらこの作品のことなのかも」と思いました。か弱い二人が肩を寄せ合っていた部屋がある日突然パッと崩壊して、そこから互いに生き方を考えていく。そして「やっぱりこの人がよかった」と会いに行くところがよかったです。
作品全体を通して、もしかしたら自分も精神世界に関するところに頼ったり、怪しげな薬を買ったりするかもしれないと身に染みて想像できます。「もしかしたらこうなるかもしれない」というぼんやりとした気持ちをうまく掬い上げている作品でした。
議論は白熱し……
――一作ずつお話を伺ったところで、それでは第2回の大賞を決定したいと思います。みなさん、大変苦しい表情をされていますが、いずれの作品もそれぞれに魅力がありました。
山本 『汝、星のごとく』です。恋愛小説のカテゴリーの中で、ここ十年で最もエポックメイキングな小説と言いますか、大きな作品だと考えています。「大人の恋愛小説大賞」という観点からすると、この一作が過去の受賞作に入っていると、ある意味、羅針盤のようなものにもなりそうです。
沢田 私は『求めよ、さらば』です。奥田さんの作品の良さに、情けない男の造形の上手さがあると思っていて、この小説にも強みが出ています。
そして大人の恋愛小説を考えた時に、映画『ローマの休日』の別れの場面が頭に浮かびました。十代の頃は「そのまま駆け落ちしたらハッピーエンドになるのに」と思っていましたけれど、大人になってみると「それではファンタジーが過ぎるな」と感じるようになったんですよね。そういう点でも、最も現実に縛られた小説をと思ったときに『求めよ、さらば』が浮かびました。
川俣 悩みますが……『汝、星のごとく』でお願いします。一番真っすぐに、かつ読ませる恋愛を描いていますよね。最後に言い添えると、プロローグとエピローグの接続も素晴らしかったです。最初と最後で、読者側の心の動き方がまるで違ってきます。「凪良さん、さすがにすごいな」と思ったので推します。
加藤 現実への寄り添い方を考えると、『求めよ、さらば』を推したいです。帰国子女であるというだけでやっかまれる主人公や、結婚を考えていないけれども先に妊娠した友人の姿など、「ああ、周りにいたかもしれないな」と思いました。不妊治療に関しても、周囲を見渡したら同じ境遇の人がいるように感じられます。読めば読むほど「もしかしたら」という気持ちになりますし、かつ文章も読ませるものでした。読み込みたい、また読みたいと思わせる小説として、この作品が良いと思っています。一見、恋愛小説のようではありませんが、読むとわかってくるというのも、今の時代に合っていると感じます。
大塚 私は、大人の恋愛小説大賞ということで、『求めよ、さらば』を推します。小説としてのクオリティは、『きみだからさびしい』も本当に高くて素晴らしいのですが……。沢田さんのおっしゃる「現実に縛られているかどうか」という観点、私にとっては「そこを読めばよかったのか」ととても大きな発見がありました。そう読むとすると、『求めよ、さらば』を推します。
――みなさま悩みぬかれ、非常に拮抗する最終投票となりましたが、今回の受賞作は『求めよ、さらば』に決定となりました。素晴らしい5作につきまして、熱い議論を誠にありがとうございました。
一同 (拍手)
心惹かれた恋愛小説は?
――第2回の結果が決まりましたが、受賞者・奥田亜希子さんのご著作の中で、おすすめの作品を伺えますか。
沢田 本当に幅広いテーマで作品を執筆されていて、『きみだからさびしい』とも関連して、ポリアモリーについても『愛の色いろ』(中央公論新社)で書かれていました。
デビュー作『左目に映る星』(集英社文庫)はアイドルの追っかけをやっている冴えない男性と、刹那的な恋愛をするイケイケな女性との物語で、すごくよかったので、おすすめです。先ほど申し上げた通り、情けない男を描くのが、デビュー当初から『求めよ、さらば』に至るまで、変わらずにお上手だとわかると思います。
中でも、僕が一番好きなのは、『青春のジョーカー』(集英社文庫)です。中学3年生の男子が主人公で、いじめといじりの間のような扱いを受けている中、「強さって何だろう」とずっと探し続けます。書評ではどれも性の目覚めが強調されていたんですが、主人公の取る選択が本当に強い人にしかできないことで。性欲に関する叙述も目立つ部分ではあるのですが、主人公が考え至る「強さ」にこそ、注目して読んでいただけたら、一層楽しんでいただけるかなと思います。
――2022年に読んだ恋愛小説の中で、候補作のほかに心に残っている作品はありましたでしょうか。
山本 この賞の第1回受賞者である島本理生さんの『憐憫』(朝日新聞出版)がよかったですね。分量は少ないですが、2021年に刊行された『星のように離れて雨のように散った』(文藝春秋)から引き続き、充実度が高かったです。島本さんが書く恋愛小説において、転換点となるような作品だと思います。
川俣 恋愛小説、実はあまり読んでいなくて……。綿矢りささんの『嫌いなら呼ぶなよ』(河出書房新社)は面白かったです。
他には一穂ミチさんの『光のとこにいてね』(文藝春秋)も、心に残っています。ただ、恋愛と友情の狭間にいる二人のお話で、恋愛小説とは言えないかもしれません。
大塚 思い返せば、私もあまり恋愛小説読んでいないです。金原ひとみさん『デクリネゾン』(ホーム社)については、新聞書評にも書きました。金原さんらしさが出ていると言いますか、吹っ切れた物語ですごく面白かったです。金原さんの小説をこれからも読んでいきたいと思った一冊でした。
加藤 私は売り場を離れてから読む量がどんどんと減っている状況です。店頭に立っているときも、ゲラを機械的にたくさん読んでいると、何が面白いのかがわからなくなってしまうという悩みも感じていたりして……。
その分、今回の候補作5作を短期間で一気に読む時間は、とても濃厚なものになりました。前回同様、自分では選ばない作品との出会いもあり、「この作家さんをもっと読みたいな」「あの作家さんはどうだろう」と、自分の中で新しい作品と巡り合えるいい機会になりました。
――これからどのような賞になっていくのかというのも、回を重ねるごとに、特色が出て来るのかもしれません。また次回も引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
(2022年12月1日収録/「オール讀物」2月号より)
『求めよ、さらば』あらすじ
志織は現在34歳。大学時代のアルバイト先で出会った誠太と結婚して、7年が経つ。誠太が趣味のカメラで志織をモデルに撮影しSNSに投稿するなど、温かい夫婦生活を送っていた。ただ、力を注いでいる妊活の成果がなかなか出ないことだけが、二人の間に大きく横たわっている。
仲の良い友人の予期せぬ妊娠、元恋人が結婚し子ができたという噂、妊娠効果があるというセラピー……。周囲の動きに、志織は気持ちをかき乱される。
そんな中、誠太のSNSの更新が止まっていることが気にかかっていた志織は、旅行中に魔が差し、誠太のスマホからアカウントを覗き見てしまう。目にしたのは、誹謗中傷に近いダイレクトメッセージの数々。そして〈自分の人生に奥さんを利用しているんですね〉というメッセージにだけ、〈そうかもしれません〉と誠太はなぜか返信していた。
2週間後、誠太は突然置き手紙を残し失踪する。そこには衝撃の告白が書かれていた。アルバイトの送別会で「僕は志織の飲みものに惚れ薬を盛りました」と――。
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